2009年10月12日

お稽古場に私情を持ち込まない

人間誰しも、調子の良い時、悪い時、さまざまあると思います。
これは仕方のないことですよね。

例えば、彼氏、彼女とケンカした・・・
とかや
親や兄弟と言い争った・・・お給料が少なかった・・・
麻雀で負けた・・・
はたまた、体調が悪い・・・

などなど・・・調子の悪くなる要素は色々あると思います。

しかし、こうした調子の悪さをお稽古場に持ち込んではいけません。
また、これに限らず『私情をお稽古場に持ち込んではいけない』と思うのです。

舞台芸術は何度も言う通り、複数人でつくるものです。
また、お稽古という貴重な時間は自分一人のものではなく、あくまで”他人のためのお稽古”なのです。

調子の善し悪しもさることながら、「この作品、おもしろくない」や
「この課題やりたくないなぁ」などそういった要素や想いは自分の為にならないどころか、他にその舞台に関わっている人によって非常に邪魔な要素であると言えます。

お稽古場は常に他人のために振る舞わなければならず、それができなければ、自分のお稽古ーーー単に出る所をやっとしてもーーーでは身にならないと考えています。何故ならば、それは反復したにしか過ぎず、作品全体の完成度から言えば、進捗は微々たるものでしかないと考えるからです。

どんなに調子が悪くても、その時のベストを尽くす。
お稽古は常に他者の為のお稽古と言うことを頭に入れておくだけでも、作品への集中力は段違いに違って来ると思います。

お稽古場には私情はもちこまない。
これをすることで作品に真摯に向かいあい、役に向かいあうことができるのだと考えています。
タグ:稽古場 私情
posted by 武藤賀洋 at 18:42| Comment(5) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月06日

声を出すこと、聞くこと、読むこと

私は公演が近づいたり、普段の講座やワークショップの中で、『台本を頂いたら、最低一日一回、全てを読むと良い』と言っています。

この全てというのは自分の出る部分だけでなく、物語全体を読むわけです。詳しくは別項目で書こうと思いますが、物語のどこにその役のヒントが隠されているかわかりませんし、全体を把握することでより自分の役が明確になると考えているからです。

さて、今日はそんな台本を読む際の読み方についてです。
以前にもこんなことを書きましたが、俳優さんの大事な器官の内の一つとして『耳』が上げられます。
これは、人間、赤ちゃんの時から、言葉を覚えるためには耳からまず音声が入らないとその「音」を発生させるのは難しいものだと思います。(耳のお話はまた別の項目で…)
ですので、台本のセリフを入れる際に、『音読』をして、自分の声から耳に聞かせてあげて台詞を入れるというのは有効な手段だと思います。

音読・黙読それぞれに利点と欠点があろうかと思います。
黙読は物語全体を把握するのに、手間があまりかかりません。全体のイメージをつかんだり、世界観を反復して自分の中にイメージするのには最適な方法だと思います。しかし、黙読では頭の中の一瞬のイメージができたとしても、それはぼんやりとしたものになってきてしまうと思います。

音読は物語の世界観、その役の状態などを、目で見て、口から発声し、耳で確認…この動作を繰り返すことで黙読ではひょっとしたら飛ばしてしまっていた、細部のイメージなどを十二分に捉える事に有効だと思います。視覚と聴覚を使ったダブルでの確認というのは台本や役のヒントをつかむ上でかなり有効な方法だと言えると思います。ただし、場所や時間を選ぶ必要がありますし、間違った(演出意図に沿わない)アクセントやしゃべり方が身についてしまう可能性もありますので柔軟に取り組んでいくことが必要なのではないかと思っています。

いずれの方法もうまく取り入れ、役に向かい合うには兎に角、拠り所となる台本をきちんと読み、理解し、把握し、身につけることが大事なのだと考えます。
posted by 武藤賀洋 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月03日

コミュニケーションを取り、話し合うことの大切さ

台本を貰って、配役されて・・・役づくりをして行く際にはやはり色々な話し合いが必要であろうと私は考えています。

20090930184323.jpg役者さんにとって、毎日台本を読んだり、解釈したり、確認したりという作業はとっても大事ですし、疎かにはできません。しかし、たった一人でも作業できる事柄は限られて来ると思います。舞台はほとんどの場合、複数人で作るわけですから、他の役者さんや、演出家、監督とお稽古場でもお稽古場外でもコミュニケーションをとる事は非常に必要だと考えています。例えば、段取りだとか、動作の打ち合わせ、役について、作品についてなどなど・・・話すことは山ほどあるわけです。こうしたコミュニケーションが取れていないと、いざ、お客様の前ではちぐはぐな作品になってきてしまうと私は考えています。


20090930184248.jpgしかしながら、気をつけなければならないのは、段取り―――例えば、「私はこう動くから、あなたはこう動いてほしいの」―――というようなものばかりだと、段取りが先行するお芝居になってしまうと思うのです。また、別の機会に書こうと思いますが、段取りと仕草と動作は別々のものであり、仕草があり、動作があり、約束された段取りがあるわけで、段取りだけ話していても、しっくりこない場合が出て来ると思うのです。コミュニケーションでは、その役と相手の役との関係性を確認したりすることが大事なのだと考えています。多くの場合、段取りは演出家から指示が出ますが、この段取りを生かして、仕草を考えたり、生きる人(役)としてどう動くかということを考えるのも役者さんのお仕事だと思うのです。芸術に答えはありません。ですので、話し合い、コミュニケーションでも『?』と思う事があるかもしれません。それを『!』に変えて行く事こそ、コミュニケーションの本質であろうかと思います。それは役づくり、役に向かいあうことに非常に大切なものだと私は位置づけています。


コミュニケーションや話し合いは、一見すると時間もかかり、無意味なものであるかもしれません。しかし、相手の考えやイメージを融合するのに、かなり有益な手段ではないでしょうか。本来ならば、現実世界と同じ様に、相手の行動や所作に対して反応をするのが基本だと思うのですが、折角、台本という世界、役という違う自分、他者が居る訳ですから、いろいろとイメージをぶつけ合い、融和させて、素敵な世界を作り込んで行く、そんな作業が長い目で見ると私は有益である気がします。

私の創作する舞台作品では、早い時期に『役』について各役者さんとお話をします。その前に演出目標というテーマをスタッフ/役者さんに伝える訳ですが・・・これを拠り所として頂くためなのですが・・・そのテーマを基準に共通の世界観(完全に融和/融合するのは難しいことですが・・・)を持てたらと考えています。この役者さんとの対話があるのとないのとでは、公演時にお客様に観て頂く作品の出来が違って来るのではないかなぁ〜と考えています。


迷ったら、役に、作品に迷ったら、周りの役者さん、演出と話し合い、整理をして再度、役に向かいあう・・・そうした繰り返しが必要だと思うのです。
posted by 武藤賀洋 at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする