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2010年10月29日

大好きになる!心の底から愛する!!

皆さん、秋と言えば?
芸術の秋でしょうか?スポーツの秋、はたまた読書の秋でしょうか?

こういう仕事をしているので『芸術の秋』であるべきなんでしょうけれども、専ら私は”食欲の秋”です。
先日、父のお誕生日のお祝いに食事をしたのですが、そこで頂いた牡蠣鍋が絶品で〜
秋から冬にかけて、食材もそうですし、お酒も重ねられる、良い季節になってきました!
冬生まれの私としてはこれからの時期、本当にたのしみです!あ、そうそう。お酒は成人してからですよ〜


さて、今日は役作りの基本のうちの一つ『役を知る、イメージする』ということを考えてみたいと思います。
先だっても書きましたが『役を無条件に好きになる。』と言う事が大切だと思うのです。

これは訓練が本当に必要だと思いますが、役を好きになれなければ、役作りも役にたいするイメージもスムーズに行かないと思うのです。
つまり、役作り、役に対するイメージというのは、その役(キャラクター)について如何に肯定的になれるかという事だと思うのです。

ところがこの肯定的な見方でも「評論」的な肯定では困るわけです。何故ならば、役作りを行い、役を演じるのは他ならぬ自分自身なのですから。(役作りをしていく過程である種、客観的見地は必要になってきますが・・・)

ではどうしたら良いのか。それは、担当する役を『大好きになる!心の底から愛する!!無条件に好きになる!!!』のはもちろんのこと、恋愛にも似た感情で、その役と向き合う事が必要だと思います。このブログを読んでいただいている皆さんにも1回くらいはあるでしょう?片思いをしたこと。恥ずかしながら私にもあります。そうです、この歳ですからね、、、なんどでもありますさ。。。まぁ、それはおいておいて・・・片思いになるとどんな状態になるでしょう。イメージしてみてください。

四六時中、その人の事を考えるようになりませんか?
あの子は今、何をしているんだろう?
あの子の好きなものはなんだろう?
そして、どこに行っても何をしても、その子が基準になってしまう。
「ここにあの子と来たらどんな話をするだろう。」
「これをあの子と食べたらおしいだろうな。」
そうなんです。恋は盲目といいますけれども、片思いをしている時は何を見ても聞いても”肯定的”であると同時に評論でもなんでもなくなるわけです。ポイントは「その子の事を思うとすべてその子が基準になる」ということなんですね。

これはあくまで『演出ノートblog』であって、恋愛ブログではないので、話を元にもどしますが、役へのイメージもこうした部分と同様にその役を基準に肯定的且つ様々な場合をイメージしなければいけないわけです。ですので、その第一歩として、役を無条件に好きなる事が必要なわけです。
その上で寝ても覚めても(くらいに)その役に向き合い、考え、イメージしなければ、役作りなど到底できないと思います。

20101029_c.jpgこれが台本を読み、評論的なものが加わってしまうと、役に対して否定的な部分が出て来てしまう恐れがあります。「この役はこうしているけど、俺にはできないなぁ」となってしまいます。先だっても言いましたが、アマチュアや趣味でやっているのであればこれも許されますし、役替えを申し出たり、勝手に台詞や動作を変更してしまうのもあると思います。しかし、プロフェッショナルでやるのであれば、前提は台詞を一言一句かえず、ト書きも最大限に演じきることが求められます。(アドリブなどについてはまた別途書きますが、新人さんの時にはやればやるほどぐだぐだになってしまうことが多いです。)対象の役が同性の事が多く、恋愛のような片思いにはなかなかなれないとは思いますが、役者の仕事として「役を好きになる」というのは絶対条件であると思います。何故ならば、その物語の世界でその役は(役自身は自己否定する場合もあると思いますが・・・)存在し、生きている訳ですから、物語の世界を役者が否定しては成り立ちません。

また、こういうこともありませんか?オーディションや初見の際になかなか役をつかむ事ができないこと。これは往々にして、イメージ不足だと思うのです。つまりイメージできてないから、しゃべれないし、何をしていいかわからない。普段の生活でもそうですよね。自分の知っている事はたくさんしゃべることができるけれども、知らない事はしゃべったり、動いたりする事ができない。つまり、役作りというのは、「役を知る」という作業の繰り返しだと考えています。その作業の中に役者としての疑問は存在したとしても、否定はあってはいけないわけです。疑問は読み込み、作り込む事により解消されますが、否定は否定で残ってしまい、役がぶれてしまいます。役作り、役を知る第一歩として、「役を好きになる事」はとても大事だと考えています。
posted by 武藤賀洋 at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

叱られて当たり前

今回は『叱られる』ということについて書きたいと思います。

私が役者をやっていた頃、演出家の先生によく怒鳴られ、よく灰皿を投げられました。
私ももちろん若い頃でしたから、「むかつくぜ!」と良く思ったものです。
しかし、今にして思えばそういう叱られた事ほど忘れていなくて、よく覚えているものです。

このブログをご覧の方には養成所や専門学校に通われている方も多いと思います。
お稽古中にたくさんダメ出しを受け、たくさん叱られてほしいと思います。

昨今、ニュースなどを見ていると、「叱る」事と「怒る」事を混同しているような事が目につきます。

そりゃあ、叱られている時は、怒鳴られもするでしょうし、イヤな思いもすると思います。
人間ですもの。

しかし、ここで一つ。
叱られているのを「責められている」とか「自分の責任だ」だとか「間違ったんだ」だとか「怒られた」なんて思っているとお芝居もそうですが、色々な事が上達していきませんし、大概、態度に出てしまいますし、次に生かされません。そういう事を繰り返していると、先生の側からは、もう、「叱っても意味がない」と思われてしまう訳です。

無論、何か間違った事だったり、何かが違うことをしてしまったのだから、ダメ出しが出て、場合によっては叱られる訳です。
ポイントはこれは誰のせいでもなく、自分が行った結果、なのです。

20101029_b.jpg話はそれますが、、、「責任」と言う言葉があります。この責任とは「責任をとります!」の様に使われる事がありますが、果たしてこれだけでしょうか?何か拙い事をしたから辞めれば責任なのか・・・そうではないと思うのです。責任の真の意味は、”自分の行動に責任を持つ”という事だと思うのです。
つまり、良い事が起きたら「自分のおかげ」、悪い事が起きたら「人のせい」ではなく、「良い事が起きても悪いことが起きても自分のおかげでじぶんのせい」なわけです。それをしっかり認識して、次の行動に生かす事が真の責任だと思うのです。

話が逸れましたが、このダメ出し、叱られたことをきちんと受け止めるのと受け止めないのとでは成長の度合いが違ってきます。先ほども書きましたが、昨今は『叱る』ことと『怒る』事が混同されがちです。見た目の派手さ(怒鳴られたり、ものを投げつけられたり)だけにとらわれず、叱られている内容をしっかりと受け止めないといけないと思うのです。

言われているうちが花という言葉があります。叱られるのが嫌いだからといって、一見そつなくこなしてみても、それ以上にはなりません。常にチャレンジして、若いうちはどんどん仕掛けて行かないと、伸びないと思うのです。
叱られなくなったら、おしまいであると思います。実はこんなおじさんでも今でも大先輩から叱られる事が多々あるわけです。それを次に生かす事が叱ってくれた先輩、先生に対しての礼節だと思うのです。また別の時に書きますが、プライドが出てしまったら、うまい叱られ方ができなくなるわけです。ですのでたくさん叱られ、ダメ出しを受けて、けっして忘れないようにして行く事が大事だと考えています。

※ちなにに画像は作品お稽古中のお写真です!!いくら僕でもこんな風にはしません〜
posted by 武藤賀洋 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Property

な、なんですか!!!昨日の寒さは!! なんでも12月末なみの気温だったとか・・・
手がかじかむわ、、、足はひえるわ、、、雨はふっているわで散々でした。。。

なんだか、秋が短いような、、、
今年の猛暑といい、この季節外れの台風といい、、、日本の四季は大丈夫でしょうか。。。


さて、今回は「基礎練習」カテゴリです!
役作りというものをちょっと違った角度やら言葉で考えてみました。

20101029_a.jpgProperty(プロパティ)
この言葉を聞いた事がありますでしょうか?
パソコンに詳しい方なら頻繁に聞くでしょうし、システムエンジニアやプログラマーの方ならばなおのことでしょう。

さて、このプロパティ、辞書でひくと。。。
 1 財産。所有物。所有権。
 2 コンピューターのファイルや周辺装置などの各種の設定や属性に関する情報。
と出てきます。今回はこの「2」の意味を元に、”役作り”のイメージ方法をご紹介したいと思います。

プロパティの意味を属性や設定値と捉えてみて、これをコンピュータではなく、人に当てはめてみます。
私のプロパティを挙げてみます。

・名前 ・年齢 ・性別 ・身長 ・体重 ・髪の毛 ・職業 ・年収 ・趣味 e.t.c....

などなどがあがってきます。
『私の』としましたが、皆さんほぼこういうような設定項目が出てくるのではないでしょうか。
ここに値を当てはめて行きます。
・名前 武藤賀洋
・年齢 36歳
・性別 男
 ・
 ・
これも難なくこなせると思います。
しかし、上記に書いた「髪の毛」というのはどういう設定になるでしょうか?
量なのか、質なのか、色なのか、長さなのか・・・
私であれば、
 ・髪の毛の量 薄い
 ・髪の毛の質 やわらかい
 ・髪の毛の色 茶色
 ・髪の毛の長さ 短髪
というようになってきます。
プロパティ一つとってもさらに細分化されてくることがわかります。
上記の身長や体重も細分化してみると、「頭の長さ」だったり、「足の長さ」の合計(厳密に合計値にならないかもしれませんが・・・)となってくるわけです。

そして、これらのプロパティの値は、「現在」の状態であるわけです。
人は一瞬、一瞬変化します、つまり、
 ・髪の毛の量 なし
になっていくわけです。。。。。

まぁ、髪の毛自体の話はここまでにしておいてですね、、、
何が良いたいかというと、設定値には(明確に指定していない限り)「過去」「現在」「未来」が存在する訳です。
設定値は変わるわけです。

これを役作りの一つのやり方としてみると面白いかもしれません。
大体、役についてイメージをはじめると、その台本にかかれた時間についての該当の役については、イメージしやすいものです。
しかし、その役の過去や未来は台本上に書いてある場合をのぞいては、イメージをわすれがちになります。

皆さんがこの瞬間生きているのは過去の状態があったからです。
ですので、同一人物の役、ひとつとっても現在だけでなく、過去の設定値をイメージする必要があります。

そして、本日の一番大事なポイントがコレです。
何があったかを考える」
ということです。

例えば、上の画像のように、パソコンのデスクトップの画像を変える場合、
パソコン(画面のプロパティ)を操作して設定値を変えます。
これには細かく考えるといろいろな事象があります。
 ・デスクトップの画像を変えようと思う
 ・画面のプロパティ今の画像
 ・変えようとする画像
 ・パソコンの操作
大きく挙げてみましたが、これのどれがかけても、デスクトップの画像を変える事はできません。

つまり、これを役に当てはめた時にプロパティが変わっていたら、何かが起こったはずなのです。
例えば名前が変わっていたら、何があったかをイメージしてみる。
・結婚 ・離婚 ・養子縁組 ・改名 ・記憶喪失
などなどがあります。
台本を読み解いて行くうちに色々な想像ができてきます。
この「何がおこったか」と言う事が台本の上で描かれている、キャラクター、人物像に反映されているはずなのです。

こうして、その人物のプロパティを考えてみて、設定値を過去、現在、未来に当てはめてみると色々な事が分かってくると思いますし、イメージしやすくなってくると思います。
こうしたことを繰り返す事で役作りの練習になると思いますし、これをすることでpropertyのもう一つの意味である、「財産」や「所有」が役についてできてくるのではないかなと思います。

最後にひとつ。
これはあくまで基礎練習の一つです。これだけがやり方ではありませんし、舞台のお稽古などで脚本家の方や演出家とイメージが違う場合が多々あります。先だっても書きましたが、柔軟さと素直さを同時に養わなければならないことも付記しておきます。
posted by 武藤賀洋 at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 基礎練習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

間合い

子供と犬と猫には大人気、武藤です!
いやぁ、本当に最近は秋らしくなってきて、朝夕の冷え込みと言ったらないですね。
11月までお布団を入れるのを我慢して毛布ですごそうかと思っておりましたが、、、
先日ついにお布団を入れてしまいました。年々なにかこう、、、辛抱が足りなくなってきているような気がします。これではイカンな。暑さ、寒さにもう少し順応できるようにしていきたいと思います。

さて、本日は、”距離”、”距離感”ということについて考えてみました。

よく武道では、『間合い』という言葉があると思います。
これを辞書で引くと「自分と相手の距離」と出ています。
この間合い、実は舞台上の役と役、役と装置、役と空間・・・の中にも存在するものだと考えています。

この間合い、武道でもそうなのだと思うのですが、適正な距離よりも近ければ近いなりの、遠ければとおいなりの動きが出てくると思うのです。また、遠すぎても近すぎても不味いことになることもあるかと思います。

武道、とこに剣道でいうところの『一足一刀の間合い』というものがあります。
これは、所謂適正な距離だと理解しています。剣道の基本的な距離の取り方で、一歩踏み込めば相手に打突を加える事の出来る距離であると同時に一歩引きさがれば相手の攻撃をかわすことが可能な距離であります。
さらにこれよりも遠い間合い、すなわち、相手が打ち込んでも届かないかわりに、自分の攻撃も届かない距離感、同じように、自分の攻撃が簡単に届いてしまい、且つ、相手の攻撃も用意に届いてしまう、近い間合いも存在します。

お芝居にはこのような見た目、攻撃ということは存在しませんが、(無論、台本の中でそのような場面は別ですが・・・)これと似たような距離感をコントロールすることを求められます。
往々にして舞台では様々な距離が存在します。アニメや洋画のアテレコの世界でも同じではないでしょうか。
私はこれを物理的距離と倫理的距離とにわけて解釈をしています。

20101022_a.jpg例えば・・・舞台では立ち位置は舞台の端と端に男女が立っているとします。二人は恋人どうし。
脚本上には「二人寄り添って愛をささやく」としてあるとします。この場合、そりゃあ、寄り添えば何てこと無いんですが、演出や作品として何を訴えたいかによって、こういうシチュエーションになるときが多々あるかと思います。このとき、舞台上の二人の距離が物理的距離、台本上の「寄り添う」という文言から導かれる気持ちの距離感を倫理的距離と解釈しています。

この二つを混ぜ合わせ、脚本上にある「寄り添って愛をささやく」というものを表現しつつ、舞台作品として物理的距離を有意義に生かすことができると表現の幅が飛躍的に広がるのではないかと思っています。

これと似た様なことにアテレコ/アフレコの現場では画面上に恋人の二人が映っていても実際に声を入れている声優さんは部屋の端と端のマイクだったりするときがあります。

この倫理的、物理的距離をイメージでき、且つクリエイトできることが役作りにとって必要なのではないか、そう考えています。

こと、舞台の世界では劇場の大きさや、他の役、装置、道具などとの間合い、距離感というものがダイレクトにお客様に伝わって行きます。ですので、この距離、距離感というものを常に意識していないと一人とんでもない動きや台詞になってしまう事がありえます。特に自分の世界観、自分の距離感のみでお芝居を行うと他者との兼ね合いや演出の求める距離感がぐちゃぐちゃになって、台詞をおっているだけの祖末な演技になってきてしまうでしょう。

前述しましたが、物理的な距離、論理的な距離を十二分に把握し、自分の役と他の人の役、装置、道具との間に、その時々にあわせた適正な間合いを持ち、発する事が大事である、そう私は考えています。


posted by 武藤賀洋 at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月15日

おもいきり、制限なく

やっと秋らしくなってきました!
しかし、この冬はラニーニャ現象の影響で、もの凄く寒くなるとか・・・雪も多いとか・・・
夏があれだけ暑かったので、、、、暑いよりは寒い方が好きなんですが、、なんともはや・・・

日本には四季という素晴らしいものがありますが、ここ数年、異常気象と言う事が叫ばれています。
四季折々の風や風景、景色を見たり聞いたりしながら、様々なことを感じることも役者さんとして大事なことだと思います。
が、このまま行くと、、、季節が、四季折々の風物がめちゃくちゃになってきてしまいそうな気もします。


さて、今日は、『お芝居をするには自分の全てを注ぐ』ということを書いてみたいと思います。

結論から言いますと、
『お芝居をするには自分が持てるものすべてを出し、すべてをそそいでやらないとお客様の心は動かない』と思うのです。
また、プロとしてお仕事して行く上で、ライバルがこのことをしていたら、まずもって役は持って行かれてしまうでしょう。

ある程度経験を積むと「これくらいでいいかな」と思わないまでも、しらずしらずの内に自分の全てを出さないことが出てきてしまいます。また、初心者の方に多いのが、恥ずかしさ、羞恥心が先にたってしまって、なかなか思い切り出来ないと言うものがあります。

羞恥心を出さないようにしたり、(捨てるというのは違うと考えていて、また別の機会にお話しようと思っています。)自分の持てるすべてを出し切るというのには”テンションを張る”と言う事が関係していると思います。

人は泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったりーーーつまりは感情の変化がある際はーーー無意識にテンションが張れている状態であるわけです。もっと平たく言えば、ある種の興奮状態であり、(良い意味での)緊張状態なわけです。このある種の興奮、緊張を常に張っている事によって、制限なく、お芝居ができるのではないかと考えています。

20101015_b.jpgまた、最初にも書きました通り、『お芝居をするには自分の全てを注ぐ』わけですから、自分の良い面ばかりでなく悪い面、長所ばかりでなく短所もすべてさらけ出さなくてはいけません。しかし、人間ですから、欠点や短所をさらけ出す事は嫌ですよね。それに伴って笑われたり、馬鹿にされる事があるかもしれません。しかし、役者としてはすべてをそそがないと、人の心は動かせない訳です。なぜならば、通常皆さんが心を動かされたりすることはその原因となった人、物事について、たとえその人の欠点だったことであろうと、その人が真剣であればあるほど心に残る訳です。お笑いでもしかり。お芝居でもしかり。その見せ方や目的が違うだけなのです。

ライバル達が思い切り、自分の良いところも悪いところも包み隠さず、自分のすべてを注いでお芝居をしたら、、、例えばオーディションなどでは勝ち目がなくなってきてしまうかもしれません。また、すべてを注がずにお芝居をしていると、目の肥えたお客様やお仕事先のディレクターさんなどにすぐに看破されてしまうでしょう。

また、『自分の生きている時間すべてを芝居に注ぐ』ということもあると思います。役者修行をしている方の多くは学生さんだったり、アルバイトをしておられる方がほとんどだと思います。生活のためにアルバイトをしたり、学生さんですから勉強するのは当たり前です。しかし、役者を目指した以上、他人がーーー役者を目指していないお友達などがーーー遊んでいたり、休日をとったりする時はすべてお芝居に費やすべきなのです。この世界は努力が必ずしも報われるべき世界ではありません。しかしながら、自分の人生の時間のそのほとんどをお芝居に関する時間に充てないと・・・これもライバルが既に充てていたら勝ち目はありません。人間ですから眠かったり、やる気が起きなかったり、遊びたかったりします。しかし、切り替えをきちんとして、お芝居に時間を充てなければ『自分の全てを注ぐ』ということにはほど遠いを思うのです。

『お芝居をするには自分の全てを注ぐ』ーーー常に思い切り、制限なく、また、自分の使える時間を有効にお芝居に注ぐ。そうしていくことで好きなお芝居がより好きになり、恥ずかしい心を出さなくなり、自信がついてくるようになる第一歩だと考えています。



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劇団新和座が4つのチームに別れて真剣勝負!!
劇団新和座『投票祭』12月18日、開幕!!
武藤も出ます!是非、ご期待ください!!
http://www.shinwaza.com/
タグ:人生 演劇 時間
posted by 武藤賀洋 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月08日

すてごま

毎回書くようですが、、、1週間というのは本当に早いですね〜
さて、私が関わっているお仕事の一つに劇団新和座というものがあるのですが、、、
今、この劇団新和座では争いが起こっております!!

20101008B.jpg誠心誠意、正々堂々と戦うわけですが、今回、私武藤も出ます!しばらく舞台には立っていませんでしたが、出ます!!画像の女優さんと一緒に立たせていただきますが、詳細は是非、公式ブログをご覧頂ければ、と思います!!一生懸命がんばりますので、応援、よろしくお願いします!!


さて、今日は・・・お芝居のお勉強をする上の心構えとして
『見ているだけ、見てからは有利なレッスンにならない』
ということを考えてみました。


お芝居の講座やレッスンなどで、先生方から出された課題を皆の前でやるのはとても勇気のある事だと思います。
そして、私が表現者の立場から申し上げると、最初に手を挙げずに「見」して、様子を窺っている人はもの凄く嫌いだったりします。
また、そういう習慣がついてしまうとなかなか伸びて行かなくなるとも思います。確かに様子を見て、しっかりと他の仲間達のお芝居を見る事も勉強の一つではあります。

また、本題から少し離れてしまいますが、一番最初に手を挙げたり、張り切ってやってくれる生徒さんや俳優さんはとても頼もしく見えますし、チャレンジ精神に溢れているとなると、講師の立場から言うととてもやりやすく、且つ、その行動に呼応したいな、とも思ってしまいます。

さて、本題に戻ります。何故、様子を見ているだけは伸びないのか。
これは、「傷つく事」がないからです。

人間ですから、ましてや俳優さん、声優さんになりたいという人がレッスンを受けている訳ですから、『ほめられたい』『羨望の眼差しでみられたい』『受けが良くなりたい』と誰もが思うと思います。その気持ちは俳優さんや声優さんになる上での動機付けになるのでけして間違っているとは思いません。だからと言って『おこられたくない』『皆に馬鹿にされた目でみられたくない』『間違いをみられたくない』と言うような思いで、まず”様子見”を決め込むことはけして有利ではないと思うのです。

誰しも『間違いを指摘』されるのは嫌なものですが、ここで一つ大きいのが、レッスン上で行う事がすべて間違っているものであり、すべて正解であるわけです。その上で申し上げれば、講座やレッスンの先生に指摘されることやご助言頂く事はすべて糧となり、実となっていくわけです。他人のある種の正解を見た後、それについての講師の先生方のご助言を聞いた後に、---ある種の安心感をもって望むこと---これが習慣化されてしまうと、自分自身で考えたり、いつでも正解を求めることになってしまうと思うのです。

ポイントとしてはその指摘やご助言を受けて、『傷つく事』だと思います。
これは、もの凄く落ち込むとか、もの凄く後悔するとかいうことではありません。
挑戦し、それに対しての"ダメ出し"をもらって、---人間ですからある程度、「失敗したなぁ〜」などと思う事があるでしょう?---傷つかないと、それを次に活かせないのです。人間は思ったより鈍感な生き物で、常にアンテナを張り、自分にとっても良い事も悪い事も感じていないと、いざ!という時に行動がとれなくなってしまいます。

以上のことから
『見ているだけ、見てからは有利なレッスンにならない』
と私は考えています。


posted by 武藤賀洋 at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月01日

きっかけ聞く気か聞かん気か、きっかけきくこがきっかけを聞く。

今日から10月。
お仕事的には下半期に入り、さらに年末も近づいてきて、、、
なにやら忙しくなるような気がしています。。。既にどたどた動いているのですが、、、
こういう風に忙しくなると、ついつい、確認という作業を怠りがちですが、
こう言う時こそ、しっかりと確認し、慌てる事、焦る事なく、迅速に色々と取り組んでいきたいものです。

さて、今日は、『間』ということについて考えてみました。

お芝居で一番大切な要素の一つに私は『間』があると思っています。
私のお稽古場に来たことがある人は「ムトウさぁ、間が大事だっていうわりには「間」ってお前の口から聞いたことないけど?」って思われるでしょう。

私は「間」のことを「きっかけ」と言うことが非常に多いです。動機と解釈しても良いと思いますし、衝動と解釈することもできるかもしれません。

私は「間」というのを時間的な「間」(あいだ)とは解釈していません。後に詳細な考えは記述する予定ですが、「間」というのはその役が次の台詞、仕草、所作に入るための準備の時間と心の動きだと捉えています。と同時にお芝居、作品全体の「間」、私の言うところのきっかけも存在していると思います。幕が上がれば、舞台上にいなくても全ての出演者はきっかけを作っておいてほしいものです。

20101001_001.jpg乱暴な言い方をすれば、とある役の台詞から台詞のあいだは大きな「間」と捉えることもできるのではないでしょうか?つまり脚本に「(間)」などと指定されていなくても、物語の様々なところにきっかけ、間が存在していると思います。同じ作品を違う俳優さんや声優さんが演じても同じにならないのはこうした間(きっかけ)がそれぞれ違うからでないでしょうか。

そして、この『間』、きっかけのコントロールこそがお芝居の大部分を占めるものだとも考えております。これは、自分の"間"だけなく、相手の動作、仕草をきちんと理解し、コントロールすることであり、自分勝手な『間』を作る事ではけしてありません。お芝居に慣れてきてしまうと、この自分の『間』、きっかけを大事にするあまり、相手のお芝居を受ける『間』、”きっかけ”を忘れてしまいがちですが、自分の間も相手の間ーーー自分と他者とのきっかけ、台詞、動作、仕草、表情につながる瞬間ーーーをきちんと確認、理解し、自分と他者との協調、連携をしていかないと、お芝居とはほど遠い、段取りだけのなんとも味気のないものになってしまうと思います。

また、自分の台詞が無い時にこそ、きっかけを創る最大のポイントだと私は思いますし、台本上での、自分の台詞、仕草、動作が始まった瞬間にはもう、お芝居は終わっていると私は考えます。
タグ:きっかけ
posted by 武藤賀洋 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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