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2011年12月23日

うまいにこしたことはないけれども、うまけりゃいいってわけでもない。

いやぁ〜もうド年末。
明日はクリスマスイブ、そして明後日はクリスマス。
クリスマスを越すと、もう、お正月・・・
その前には私、また1つ年齢を重ねるわけです〜が、
1年ってとてつもなく早いですね〜〜

今年は皆様にとってどんな年でしたか?!


さてさて、今日は・・・配役のお話をしたいと思います。
演出家の仕事の一つに配役があります。
舞台やヴォイスドラマの一部の作品では、プロデューサーやキャスティングプロデューサー/キャスティングディレクターが配役をすることがありますが、演出家やディレクターの仕事だと言っても良いと思います。

私がキャスティングする時に一番気をつけていることが、
”ポイントがずれていないか”
という事です。

このポイントが重要なのですが・・・
はてさて、何のポイントなのか、ということです。

その作品を通じて何を表したいか、ということが大事になってきます。
例えば、とにかく集客したいのか、
例えば、愛を表現したいのか、
例えば、面白さを表現したいのか、
例えば・・・などなど
色々と表現したいことや仕事上、重要になってくるテーマが異なります。

このテーマの”ポイントがずれない”ように配役していくことが重要だと思っております。

つまり、例えばとある作品のキャスティングを同じ役者さん達でしようと思った場合、
このテーマによってはキャスティングは全く異なるということになるのです。


ですので、タイトルにも書きましたが、
役者さんがうまいにこしたことはないけれども、うまけりゃいいってわけでもないということになってきてしまうのです。
つまり、どんなにうまい役者さんでも、その作品が表そうとするテーマや商業的な目的や制約に沿わなければキャスティングされない場合もあるわけです。

他方で、まず、役者が決まっていて、作品があとから作られる場合もあります。
この場合でも、何かテーマや制約に従って作品が出来上がってくるわけです。
このお話はまた別の機会に・・・

何れにしても配役という作業はテーマのポイントからずれないように心がけて取り組んでいます。
そして、その配役が紡ぐ物語を皆さんにご覧いただく、というわけです。

今週末はクリスマス。
皆様、素敵なクリスマスをお過ごしください♪
posted by 武藤賀洋 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 演出家の仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月16日

無駄なことなど何もない!

いやぁ・・・
この時期になると痛切に思うのですが…
1年って早いな、と・・・
来週はクリスマスで、その次の週は・・・もう大晦日という…

はやい、早すぎます〜


さてさて、今日は「無駄なことなど何もない」ってタイトルのお話です。


講座やレッスンで”自分にあわないな”という内容でも、実はそれも全て自分の糧になるのです。
はたまた、「こんなこと何も役に立たないのに」と思うことでも実はそれも糧になるのです。

一見、無駄に思えることも、自分の感じ方・捉え方で無駄にならず、必ず役に立つのです!!

例えば、私は役者時代、所謂、二枚目の役が苦手でした。
これを敬遠したり、避けてたりすると…例え、公演や仕事で二枚目の役がこなくとも…
いつまで経っても二枚目をやることは出来ません。
それどころか、自分にこの役が回ることがないな、という先入観から練習もしなければ、せっかくの役への経験がなくなってしまいます。

私は練習やレッスンで色々な役を行ったので、どんな役が苦手でどんな役が得意で…どんな役がお客様が喜んでいただけれるか、どんな役が研究不足かというような情報が蓄積されてきました。
自分の好き嫌いでなく、自分の得手不得手を押さえておく事は非常に大事だと考えます。

また、これだけなく、お芝居以外の出来事も無駄なことなど一つもないのです。
人間関係や友達関係、恋愛、学び、仕事、バイト…何一つ無駄なことなどないのです。
何故ならば、お芝居は人間の営みを表現するばなのですから…
例え、人間以外の物語でも、その物語について想像する基礎は私達の生活の中で培われていくものだと思います。

ただ、辛いから、とか嫌いだからというように敬遠するのではなく、
その体験できる事象の中から、何かを感じる力−−−感性−−−をフルに使って、自分の経験を増やし、感性を更に磨く事がお芝居を上達させる第1歩だと私は考えています。

生きていて、何も無駄なことはない、そう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月09日

歳を聞かれても困ります〜

寒いです。
寒すぎます。
師も走る、という師走。
このブログを読んでいただいている皆さんは体調を崩されていないでしょうか…
私は今、何故か寒すぎて左手が痛いです〜


さて、さて。
今回は役作りする中で『年齢』ということをテーマに書きたいと思います。
私は講座やお稽古の中で役者さんに
「この役は何歳くらいなんですか?」
と聞かれるととっても困ってしまいます。

何故って・・・
年齢を、歳という値に複数で話しあう上であまり意味を見いだせないからです。
ひねくれているからかもしれませんが・・・
例えば、”14歳”と聞いてイメージすることは人それぞれ違うと思うのです・・・
役に向かい合うためにはイメージ、想像する事がとても大事なのですがこの年齢という指標、実はとてもあいまいなものだと思うのです。


とある台本を読みつつ、その役の年齢を参考にすることはとても有効だと考えます。
しかし、この年齢というものがちょっとクセモノだと私は考えています。

どういう事かと言うと、
『年齢という値は、共有できない』
のではないか、と考えています。

これは自分の実年齢と違う年齢設定が台本上に書いてあったとしても、それは、読んだ人間によってイメージする印象が著しく違うと考えるからです。

例えば、14歳の役があるというときに、
ある人は
 ・やんちゃな時期だね〜
と思ったり、
またある人は
 ・受験勉強をたくさんして、きっと一生の内で一番勉強した時期
と捉えるかもしれません。
無論、その台本にかいてある情報に即したイメージはできますが。
また、もう一方で例えば、'声'についても…
”14歳”をイメージした時の声というのは人それぞれ違うと思うのです。
また、14歳を若いと感じるか、躍動的な年齢と感じるか、14年間生きた人間と考えるかによって変わってくると思います。


実際に具体的に年齢という指標はとても解り易いものだと思います。
しかし、演出家を含めて、この値に対して、合致するイメージが必ずあるかと考えるとなんとも抽象的な感じになってしまいます。


私の考えですが、こうした場合、他の登場人物との比較をすることによって、より具現化するのではないでしょうか。実年齢もそうですが、台本の舞台となる中心的話題でも比較の対象になると思います。例えば、とある物語の舞台が『被服業』だっとしたら…

『AさんはBさんよりも若いだろうけども、恋愛にかんしてはBさんよりも経験豊富』などなどとイメージできると思います。


こうした詳細なイメージを組み合わせることによって、年齢―――その役の若さが捉えることができると思います。
同時に、こうした中で、大事だと考えているのが、
『どういった経験をしているのか』
ということです。

その登場人物には必ず背景が存在します。
登場人物が登場するその瞬間までに、他の登場人物、または登場しないけれども、関わったであろう人物とどこで何をしたからこそ、その登場人物の行動になったのか、ということを明確にイメージすることの方が大事だと私は考えています。
posted by 武藤賀洋 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月02日

注意力散漫?!神経衰弱?! 緊張と硬さ

すっかり冬ですね〜
こんな日はお鍋でもつつきたいです♪

さてさて、今日のお話は「緊張と硬さ」ということについて書きたいと思います。

先だっても書きましたが、お芝居をしている時にはテンションを張る、という意味での緊張はとても必要だと考えています。
しかしながら、緊張を通じて、身体が硬くなったり、気持ちが切り替わらなかったりしたら、これは本末転倒です。

−――例えば車を運転する人はよくご存知かもしれませんが、−――
『前を見て運転しましょう』よく言われる注意文句です。しかしながら、これを額面どおりに捉えたら、
安全運転の一部分しか反映されていません。車を運転していると、四方八方から危険がやってきます。
ルームミラーを通じて、後ろの確認も必要です。前だけを見ていたら、大変です。
脇見よそ見をするのではなく、四方八方に注意を配ることが安全運転の秘訣だ、そんなことを警察の知り合いの方に教わったことがあります。

上記は例え話ですが、昨今問題になっている、飲酒運転。飲酒をしたら、注意力散漫、状況判断が鈍くなってしまうため、事故を起こす可能性が非常に高くなり、その事故は致死率が高いというのは誰が考えても明かだと思います。

お芝居も、脚本があるとは言え、計算し尽くされない部分も多くあります。
また、その時その時に反応しなければ、誰がやっても同じというある種つまらないものになってしまいます。

話はちょっと逸れますが・・・個性というのは、見た目、外見、喋り方、雰囲気で既に構築されているそうです。ですので、”自分しかできないことをやってやろう!”というように力むのはかえって個性をつぶしてしまう可能性もあるのです。

閑話休題。だとしたら、お芝居を創っていく上で他の人と区別され且つ”生きたお芝居”をするにはどうしたらいいのでしょうか。
それは常に舞台上の至る所に注意を払い、自分の動きは自分でコントロールできるようにしていくことが良いかと思います。注意を払い、それに反応できるようにすることが非常に重要だと思います。
これは視線や聴く力などが色々な状況からくる硬さで役に立たなければまったくもって、意味がなくなり、「前だけみる」運転になってしまいかねません。

お芝居をする前には準備運動などをしっかりとして、対応できるリラックス環境を自分で構築し、お稽古やレッスンに入ったらテンションを張り、色々なところに注意を払うのが肝要だと考えております。
posted by 武藤賀洋 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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