GWも過ぎて、だんだん日中の気温が高くなってきて、夏に近づくようです。
さて、今日のお話は「正解と不正解」というお話です。
この武藤賀洋・演出ノートblogの最初の方の記事でも書いております通り、私は『芸術に答えはない』と考えております。
これはすべてが正解であり、すべてが不正解でもあるというふうに捉えることもできるかと思います。
例えば、レッスンなので複数の先生が違う事を言っていたとします。
どちらが正しいのでしょうか…
きっとどちらも正解なのでしょう、正しいのでしょう。
芸術にはマニュアルや正解、正しいやり方などは存在しません。
確かにセオリー的なものはありますが、それが全て正しいとは限らないのです。
”これだけやれば良い!”というものも残念ながら存在しません。
そういうものがあったら、皆役者になれてしまいますよね。(…この言い方もある種の語弊を含んでおりますが…)
しかしながら、『自分にとっての』正解や正しいやり方が存在するのも事実です。
滑舌が苦手な人は滑舌練習を人の4倍はやるのが常だと思いますし、読解力がない人は人の5倍本を読むのもいいでしょう。しかし、この自分にとっての正しいやり方というのが実はあまり効果が発揮されない場合もあるのです。
何故か。
それは自分にとって正しくないか、やり方を間違っているか、成果を考えていないでやっているかなのだと思います。
幸いな事にこのお芝居の世界には色々な先輩方、先生方が開拓された様々な方法が存在します。それらの方法から自分にあった、より成果のある方法を見つけていくことも大切な役者修行のひとつと考えます。
ただし…ここでひとつ頭を柔らかくしなければなりません。
例えば、レッスンなどで、複数の先生がそれぞれ違った方法を教えてくれたとします。
その中から自分にあった方法を見つけたり、身につけたりするわけですが…
最初にその先生方からお話を聞いて、感覚的に合う、合わないで判断することなど言語道断であり、浅はかであり、論外である、ということを付記しておきたいと思います。
何故ならば、やりもしないで成果があるかどうか、自分に合うか合わないかなどわかるはずもないからです。教えを頂いたら、何度も何度もそのやり方で試してみる。そうした訓練の中から自ずと自分にあったやり方、自分なりの正解がみつかるものだ、私はそう考えています。