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2010年08月13日

芸術に答えなし

こんにちは。ここ最近、暑いが続きます。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
熱中症などにおきをつけいただいて、十二分に水分補給などしていただいて、
さらにアツい夏をお過ごし下さい!!

さて、本日より毎週金曜日は、こちらのブログと連動して、お届けしていこうと思います。
このブログで過去ふれた記事もありますが、私、武藤としても、
今一度見つめなおして、書いていこうと思います!!どうぞよろしくお願いします。


IMG_8500.jpgさて、以前にもこちらに書きましたが、私は舞台演出や若い俳優さんへの講座の時、最初にかならず言うことがあります。

それは・・・
『芸術に答えはない。』
です。

"芸術に答えはない。"
これは私の口癖でもあります。
どんな物語でもどんなお芝居でも、「正解」なんてないと思いますし、
「正解」を求めてつくったりしたら、楽しくないのではないでしょうか。

では、なぜ正解がないのでしょうか。
正解を求め悩むから「つくる」という行為が終わった後、充実感があるとも思えます。
しかしながら、我々が手がける世界は人が相手の職業だと思うのです。
―――。万人を満足させることのできるお芝居に私は未だ出会ったことがありません。
演技、演劇にも数学などに用いられる公式のようなものがあれば答えを導きだす
のは簡単なように思えます。
もし、芸術の世界に公式が存在していたら・・・芸術家、表現者、みな同じ
ものを導き出して気持ち悪いと思います。

ただ、やはり『セオリー』的なものは存在すると思います。
そのセオリーを学んで自分自身で作り直していくというのが最初なのではないかと感じます。

創作をしていて悩むのはとても良いことだと思います。
それは
何が正しくて、何が間違っているなんて誰にも判断できないと思います。
お稽古場でダメ出しがあったとしても、単にそれは監督さん(もしくは演出)の
創作過程の一つであって、且つブラッシュアップの一つであり、決して正解を導き出すものではないように思います。
なぜならば、もし演技に「正解」があるとするならば、その時に示した演技と
同じモノ、寸分狂わず同じものは2度とできないからであります。

細かいことを言うと「不正解」も答えの一部です。
つまりは演技というものに、正解も不正解もなく、ましてや完成すること
なんて、完璧になることなんてないのではないでしょうか。

だからといって、作品を完成させないわけにはいきません。
妥協するわけにもいきません。
お稽古、練習を通じて、何度も何度も塗りなおしていって、はじめてそこで
”日の目が見れる”という判断を通過して世の中に出て行くものだと感じます。

世の中に完璧な芸術などない、だから悩み続けるのではないでしょうか。
そして、毎回新たな発見をしていくのが創作だという気がしてならないのです。

"お客様に聞いて頂く、見て頂くから、より完璧なものにしたい。"
恥ずかしいものにしたくない、そう誰も思うものだと思います。
しかしながら、特に新しくお芝居を始めた方は特に、こういった結果を求めてしまうと、プロフェッショナルな感覚から遠く離れていくと思います。
それはたいていの場合、お客様は役を観に来ているのですから。
役と真剣に向いあい、お稽古の中で創り、そして、さらに作品の中で進化させていく。
こうした事が大事だと私は考えます。

少し話しがそれましたが、『芸術に答えはない。』という信念の元、
お芝居に正解や結果を求めず、舞台上で活きた人間を、作品を表現していきたい、
私はこう考えます。

このブログでお知らせしている研究成果も単に1例でしかありません。また、研究を続けることで別の方法や技法が発見できるかもしれません。
posted by 武藤賀洋 at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月21日

先生、ありがとうございました。

水鳥鐵夫先生のご逝去の報に接し、大変驚いております。
衷心よりお悔やみ申し上げます。

もう、20年近く前になります。
水鳥先生に教えていただいたのは…

先生のお言葉一つ一つ。
今でも思い出されます。

講座で
「段取りで芝居するな!」 と教えていただいたこと。
「武藤は本番の時くらいのテンションが稽古中にもあればいいのにな」
―――。
数々の教えが今、心に改めてよみがえってきます。
張り詰めた稽古場。そして時には柔らかい日射しのように和やかな稽古場。
水鳥先生のお稽古場には真剣さと温かさ、面白さが一緒にありました。

私が今、演出の礎としている部分の多くには水鳥先生の教えがあります。
さらに、講座を持つようになってああいう稽古場を目指していたのかもしれません。


お稽古場から離れれば、お芝居のこともたくさんお話していただきました。
また、飲み会では若輩の私と女の子の好みについて、
「武藤はわかってないなぁ〜」
とグラスを傾けてお話頂いた時が思い出されます。


忘れようたって忘れられません。
先生が僕たちにご指導いただいた数々のこと。
忘れられません。


先週、この訃報が届いた時にものすごく悲しい思いが私たちの心を絞めつけました。―――
私が今、この商売をしていられるのも、先生のおかげです。
私が今、講座を持つようになって初めてわかったことだらけです。
先生、もう一度、お話したかったです。
先生、もう一度、グラスを傾けたかったです。


きっと今後の日本の演劇業界、俳優業といったものを天国から見守って下さるものと思います。

水鳥先生、本当にありがとうございました。
先生の教えを胸にさらに精進いたします。
先生、ありがとうございました。


水鳥鐵夫先生のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

劇団新和座演出部
舞台演出家 武藤賀洋
posted by 武藤賀洋 at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月30日

舞台で生きるということ

よくお稽古場で言う事があります。

『役を殺すなよ』


文字で見ると物騒ですよね。
しかし、舞台の上で物語上で死んでいる人間を見るほど辛く切ないものはありません。

お芝居はもちろん、台詞の暗唱ではありませんし、
お客様は大抵の場合、物語の筋も知らなければ、台本を持って鑑賞していません。
言わば何も情報がないまま、舞台上の動くもの、舞台上から聞こえるものを見て聞いていただいているわけです。
何れも欠け落ちることが出来ない要素だと考えています。


舞台を作る時に、台本の台詞だけ注視してしまうと、お客様の視界に映るものが狭まってしまう懸念があります。
また、台詞と台詞の間、ト書きとト書きの間、ト書きと台詞の間にどのように役が感じ、役がどのように動いているか明確にイメージする必要があります。

また、自分(役者)が動きたいから動くというのは、作品にとってはプラスに働く場合とマイナスに働く場合があります。
しかし、この部分で一番肝要なのは、役(登場人物)として、矛盾がないかという事です。

例えば、時代劇だとして、時間を気にする時に腕時計を見る仕草をしたら…面白い!となる場合と場違い!!となる場合と考えられます。
ですので、常に役がどう生き、感じ、どう動くかということが舞台上では肝心となってくると思います。


舞台上で役をどう生かすか、どう生きるかという事を観点に役作りしていくことで、更に作品の面白さが増すのではないでしょうか。

ラベル:演劇 役作り
posted by 武藤賀洋 at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月21日

年齢よりも何をしたか…

4月に入って、天候が急激に変わったりしています。
このブログを読んでいただいている皆さんは体調を崩されていないでしょうか…


さて、今回は役作りする中で『年齢』についてお話したいと思います。
先般より役に向かい合うためにはイメージ、想像する事がとても大事だと申して参りました。

例えば、とある台本を読みつつ、その役の年齢を参考にすることはとても有効だと考えます。
しかし、この年齢というものがちょっとクセモノだと私は考えています。

どういう事かと言うと、
『年齢というある種の指標は、共有できない』
のではないか、と考えています。

これは自分の実年齢と違う年齢設定が台本上に書いてあったとしても、それは、読んだ人間によってイメージする印象が著しく違うと考えるからです。

例えば、17歳の役があるというときに、
ある人は
 ・やんちゃな時期だね〜
と思ったり、
またある人は
 ・受験勉強をたくさんして、きっと一生の内で一番勉強した時期
と捉えるかもしれません。
無論、その台本にかいてある情報に即したイメージはできますが。
また、もう一方で例えば、'声'についても…
”17歳”をイメージした時の声というのは人それぞれ違うと思うのです。
また、17歳を若いと感じるか、躍動的な年齢と感じるか、17年間生きた人間と考えるかによって変わってくると思います。


実際に具体的に年齢という指標はとても解り易いものだと思います。
しかし、演出家を含めて、この値に対して、合致するイメージが必ずあるかと考えるとなんとも抽象的な感じになってしまいます。


私の考えですが、こうした場合、他の登場人物との比較をすることによって、より具現化するのではないでしょうか。
実年齢もそうですが、台本の舞台となる中心的話題でも比較の対象になると思います。例えば、とある物語の舞台が『被服業』だっとしたら…

AさんはBさんよりも若いだろうけども、被服にかんしてはBさんよりも経験豊富

などなどとイメージできると思います。


こうした詳細なイメージを組み合わせることによって、年齢―――その役の若さが捉えることができると思います。
同時に、こうした中で、大事だと考えているのが、
『どういった経験をしているのか』
ということです。

その登場人物には必ず背景が存在します。
登場人物が登場するその瞬間までに、他の登場人物、または登場しないけれども、関わったであろう人物とどこで何をしたからこそ、その登場人物の行動になったのか、ということを明確にイメージすることの方が大事だと私は考えています。

posted by 武藤賀洋 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

アドリブは二の次、三の次

4月になりました。
新年度です。
今年度もよろしくお願いいたします!

4月1日はエイプリルフールでしたね。
毎年、私、他愛もない嘘を付くのですが、、、
毎年言われるのが『仕込みが凝ってますね』です。
さて、来年はどんな嘘をつこうかしら…


さて、さて。
去年の今頃でしたでしょうか。お芝居の勉強を始めたばかりの方にこんな質問を受けました。
『面白い、うまいアドリブを出すにはどうしたらいいですか?』
と。

うーん。難しい事をおっしゃると思ったものです。

結果から言えば”時の運”と答えました。


アドリブというのは、私が思うに、色々な条件が合わさって初めて成り立つものだと思います。
 ・共演者との関係
 ・各々の登場人物との関係
 ・その時の背景
 ・その時の演出(照明や音楽)
 ・その前後のお客様の反応
などなど…

当然、上記の条件を満たすためには、個人的な技量も問われます。
 ・舞台上を見る能力
 ・舞台外を感じる能力
 ・空気感を感じる能力
 ・自分を知っていること
 ・所謂、気の効いたことを瞬時に思いつく能力
などなど…


つまり、アドリブを行うことによって、世界観をぶち壊すことはもっての他ですし、お客様をおいてけぼり(自分たちしか分からないネタ=楽屋ネタ)にしてもいけません。


アドリブがうまい役者さんを見ていると、
その作品を心から読み、理解し、共演者(登場人物)との関係を良く把握していて、いざアドリブを出そうという時には瞬時に”気の効いたこと”をお客様の反応を見ながら繰り出しておられます。

結果、作品観をまもりつつも、素敵なアドリブをサラリとやってのけるわけです。


『気の効いたことを瞬時に思いつく能力』を磨くためにはまた、別途記事を書こうと思いますが、基本的には感性を磨いていくことにほかなりません。


同じアドリブでもお客様に受け入れられるかどうかはその時の状況によって異なってくると思います。

もし、このブログを読んでいただいている方の中で、これからお芝居のお勉強を始められる方の中で”アドリブ”をしたいんです!
という方がいらしたら、、、、
作品をよく読込む事から始められたら、いいと思います。

なぜなら…厳密な意味で…台本や演出の指示とちょっとでも違う事を―――意図せず気持ちの変化に伴って―――したら、アドリブなのですから…


アドリブも役が発する言葉であり、仕草であるわけです。
気持ちの移り変わりが無ければ、お客様にも受け入れらないと私は考えます。
posted by 武藤賀洋 at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月25日

調べることも大事。

このブログ内ではなんどもお伝えしていることなのですが…

イメージ、想像力はお芝居をする上において必要不可欠な要素です。
これは揺ぎ無いことだと思うのです!

しかし、そのイメージを具現化し、お客様に観ていただくためには、
”説得力”が必要になってきます。

この説得力というのは色々な側面がありますが、
一つには、お客様がある程度簡単に理解できる(伝えることのできる)世界観が必要になってくると思います。


例えば、時代劇をやろうと思ったとします。
江戸時代の中期の物語だったとしましょう。

その当時のありのままを体現した人、
つまりその時代に生きた人がいないわけですから、
極論ですが、全てを想像力、イメージの力で構築していかなくては
なりません。

しかし、好き勝手イメージすれば良いと言うものでもないと思います。
でないと、お客様に訴える、”説得力”がなくなってしまいます。

その時代、その世界の
風習、風俗、生活、風土、国家、世界観…などなど
を調べることは出来ます。
図書館や博物館でです。

そうした知識を拠り所に足りないところはイメージをしていく
わけですが、留意しなければならないのはこの知識に
縛られることなく柔軟に取り組む必要も出てくる、ということです。

例えば、その江戸時代を舞台とした物語の中に、
”昼は商人、夜は忍者”
的な登場人物がいたとします。

これは、知識だけでは役作りし難いものだと私は考えます。
その登場人物のキャラクターとしてはすごいですよね!
きっと、夜の諜報活動で、弱きを助け強きを挫く的な
活躍をみせるのでしょう。

しかし、史実を照らし合わせたとしたら、きっと色々な矛盾点が
出てくると思います。
(例えば江戸の町にはもちろん、電気がない。とすれば、
 暗闇の中、八面六臂の活躍をするのであれば、
 それこそ、超人的な能力が必要なはず…)

この矛盾点や、足りない部分にこそ、私たちがイメージし、
構築していく部分があると私は考えています。


物語に対して、分からない言葉や単語、読み方を調べるのは
当然ですが、その物語の背景、登場人物をイメージする上に
おいて、色々と調べたりすることでよりその世界に対しての
理解が広まり、イメージがより深く練磨されると私は考えています。


posted by 武藤賀洋 at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月17日

変えるんじゃない、変わるんだ〜

良くお芝居の勉強を始めたばかりの方にこういう質問を受けます。
『どうやったら、キャラ毎に声を変える事ができるのですか?』

そんな時、私はこう答えます。
『声は変えるんじゃない、変わるんだ』
と。


もちろん、声優さんでも、俳優さんでも色々な声色を使えるのはお仕事の上で便利だと思います。ですので、お芝居のお稽古/練習の他にヴォイストレーニングなどを行い、自分の声の特徴、高低、どこまで出るかなどの喉と声の特性を知る事はとても大事ですし、この訓練なくして、素敵なお芝居に近づくことは出来無いと感じています。


これを踏まえ、上記の質問を考えた時、
その声色が出るのはあくまで結果であると捉えています。
つまり、その役がおかれている背景、性格、心情、生理的状態、環境、年齢、性別などを良く理解し、その場面の気持ちを作ることで、声色のみならず、物言い、仕草なども”変わってくる”と考えています。
”変える”のではなく、”変わる”。


実生活の中で、例えば、電話。
電話がかかって来たとき、皆さんが仕事の電話を受けたとしたら、
ちょっと'よそ行き'の声になりませんか?
はたまた、その電話が大好きな異性からかかってきたとしたら…
また、正反対に喧嘩したお友達からかかってきたとしたら、
妙に暗い声が出たりして…


話す相手や状況、環境によって、人の声って自然に変わると思うのです。お芝居ではそうした状態、気持ちをまず自分の中で詳細にイメージすることによって、声色、仕草、物の言い方が変化してきます。
このイメージを詳細に行わず、声を変えることだけを優先すると、台詞の一つ一つ、ト書きの一つ一つがお客様に伝わらないばかりか、相手役にも伝わらないというとっても悲惨な状況になりかねません。

先程も書きましたが、たくさんの声色を使い分けたいという目標があるのだとしたら、自分の声の特性、物理的限界などを踏まえ日々の発声練習、ボイストレーニングは欠かせません。


そうした訓練を踏まえ、役に向き合い、気持ちを作り、状況を詳細にイメージすることで役毎、場面ごとに違った声や仕草が表れると考えています。つまるところ、声が変わったように聞こえるのは、役者さんのそういった仕事の成果、結果だと私は考えています。
ラベル: 仕草 態度
posted by 武藤賀洋 at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

残心

また、すっかりご無沙汰してしまって…
最近は寒かったり、ちょっと暖かかったり…

暦の上では立春をすぎているというのに、風が冷たいです。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいますように。


さて、今日は『残心』ということについて触れてみたいと思います。
Iaidovyuka2.jpgWikipediaによると
『残心(ざんしん)とは日本の武道および芸道において用いられる言葉。残身や残芯と書くこともある。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。』
とあります。

この残心、実は私が演出している舞台では常に注意して作り上げているつもりなんです。物語の最後はもちろん、各役の動作の終わりには残心を残すように考えています。しかし、この残心、字の如く『心を残す』ことも一部だと思っていますので、形ばかりでなく、視線や表情、雰囲気と言った所まで残心を残す事でお客様に色々な感情を訴える事ができるのではないか、そう考えています。

私個人的には剣道をやっていましたので、この残心というものは難しいながらもなんとなくわかるのですが・・・武道をやっていない人にはちょっとわかりづらい部分かもしれません。

しかし、日本に産まれ日本の文化というか伝統というか―――新和座では今の所、翻訳劇が主ですが―――こうした心の美というものを表して行きたいと考えています。そうした思いを通じて、「美しい所作」が表現できるといいなぁ〜とも同時に思っています。また、さらに、Wikipediaによると
『相手のある場合において卑怯でない、驕らない、高ぶらない事や試合う(しあう)相手がある事に感謝する。どんな相手でも相手があって初めて技術の向上が出来ることや相手から自身が学べたり初心に帰る事など、相互扶助であるという認識を常に忘れない心の緊張でもある。相手を尊重する思いやる事でもある。生活の中では、襖や障子を閉め忘れたり乱暴に扱ったり、また技術職の徒弟で後片付けなどを怠ると「残心がない」や「残心が出来ていない」といって躾けとして用いられる言葉でもある。仕舞いを「きちっと」する事でもある。ちなみに「躾け」とは「美しい」所作が「身」につく事を表した和製漢字である。』
とあります。

普段の生活の中からも残心を学び、共演者やスタッフ共々、お互いを尊重しながらお稽古することによって、作品の中に残心を表すことができるのではないか、そう考えながら精進しております!
posted by 武藤賀洋 at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

心よりお悔やみ申し上げます。

森繁久彌先生のご逝去の報に接し、大変驚いております。
衷心よりお悔やみ申し上げます。

森繁先生は、戦後の演劇業界、声優業界、映画業界といった役者業の礎を創成され、今日、私どもが役者業を営める礎を固めて下さいました。
日本俳優連合の名誉会長でもあられ、今日の声優業界や演劇業界、映画業界などの役者業があるというのは、このお方のおかげなんだと、私は思っています。

個人的にはもう一度、NHKラジオの日曜名作座にご出演頂きたかった。
あの森繁節というか、お芝居が今でも脳裏で思い出されます。

きっと今後の日本の演劇業界、俳優業といったものを天国から見守って下さるものと思います。

私は若輩者ですが、森繁先生が作られた文化を大切に吸収しさらに日本の演劇界に少しでも役立てる事ができるように精進して参ります。日本のお芝居の、演劇の、声優の、役者の文化を更に発展させていけるように、日々努力して参ります。

森繁久彌先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


劇団新和座演出部
舞台演出家 武藤賀洋
ラベル:演劇 森繁久彌
posted by 武藤賀洋 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月06日

声を出すこと、聞くこと、読むこと

私は公演が近づいたり、普段の講座やワークショップの中で、『台本を頂いたら、最低一日一回、全てを読むと良い』と言っています。

この全てというのは自分の出る部分だけでなく、物語全体を読むわけです。詳しくは別項目で書こうと思いますが、物語のどこにその役のヒントが隠されているかわかりませんし、全体を把握することでより自分の役が明確になると考えているからです。

さて、今日はそんな台本を読む際の読み方についてです。
以前にもこんなことを書きましたが、俳優さんの大事な器官の内の一つとして『耳』が上げられます。
これは、人間、赤ちゃんの時から、言葉を覚えるためには耳からまず音声が入らないとその「音」を発生させるのは難しいものだと思います。(耳のお話はまた別の項目で…)
ですので、台本のセリフを入れる際に、『音読』をして、自分の声から耳に聞かせてあげて台詞を入れるというのは有効な手段だと思います。

音読・黙読それぞれに利点と欠点があろうかと思います。
黙読は物語全体を把握するのに、手間があまりかかりません。全体のイメージをつかんだり、世界観を反復して自分の中にイメージするのには最適な方法だと思います。しかし、黙読では頭の中の一瞬のイメージができたとしても、それはぼんやりとしたものになってきてしまうと思います。

音読は物語の世界観、その役の状態などを、目で見て、口から発声し、耳で確認…この動作を繰り返すことで黙読ではひょっとしたら飛ばしてしまっていた、細部のイメージなどを十二分に捉える事に有効だと思います。視覚と聴覚を使ったダブルでの確認というのは台本や役のヒントをつかむ上でかなり有効な方法だと言えると思います。ただし、場所や時間を選ぶ必要がありますし、間違った(演出意図に沿わない)アクセントやしゃべり方が身についてしまう可能性もありますので柔軟に取り組んでいくことが必要なのではないかと思っています。

いずれの方法もうまく取り入れ、役に向かい合うには兎に角、拠り所となる台本をきちんと読み、理解し、把握し、身につけることが大事なのだと考えます。
ラベル: 暗記 役者 練習
posted by 武藤賀洋 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月03日

コミュニケーションを取り、話し合うことの大切さ

台本を貰って、配役されて・・・役づくりをして行く際にはやはり色々な話し合いが必要であろうと私は考えています。

20090930184323.jpg役者さんにとって、毎日台本を読んだり、解釈したり、確認したりという作業はとっても大事ですし、疎かにはできません。しかし、たった一人でも作業できる事柄は限られて来ると思います。舞台はほとんどの場合、複数人で作るわけですから、他の役者さんや、演出家、監督とお稽古場でもお稽古場外でもコミュニケーションをとる事は非常に必要だと考えています。例えば、段取りだとか、動作の打ち合わせ、役について、作品についてなどなど・・・話すことは山ほどあるわけです。こうしたコミュニケーションが取れていないと、いざ、お客様の前ではちぐはぐな作品になってきてしまうと私は考えています。


20090930184248.jpgしかしながら、気をつけなければならないのは、段取り―――例えば、「私はこう動くから、あなたはこう動いてほしいの」―――というようなものばかりだと、段取りが先行するお芝居になってしまうと思うのです。また、別の機会に書こうと思いますが、段取りと仕草と動作は別々のものであり、仕草があり、動作があり、約束された段取りがあるわけで、段取りだけ話していても、しっくりこない場合が出て来ると思うのです。コミュニケーションでは、その役と相手の役との関係性を確認したりすることが大事なのだと考えています。多くの場合、段取りは演出家から指示が出ますが、この段取りを生かして、仕草を考えたり、生きる人(役)としてどう動くかということを考えるのも役者さんのお仕事だと思うのです。芸術に答えはありません。ですので、話し合い、コミュニケーションでも『?』と思う事があるかもしれません。それを『!』に変えて行く事こそ、コミュニケーションの本質であろうかと思います。それは役づくり、役に向かいあうことに非常に大切なものだと私は位置づけています。


コミュニケーションや話し合いは、一見すると時間もかかり、無意味なものであるかもしれません。しかし、相手の考えやイメージを融合するのに、かなり有益な手段ではないでしょうか。本来ならば、現実世界と同じ様に、相手の行動や所作に対して反応をするのが基本だと思うのですが、折角、台本という世界、役という違う自分、他者が居る訳ですから、いろいろとイメージをぶつけ合い、融和させて、素敵な世界を作り込んで行く、そんな作業が長い目で見ると私は有益である気がします。

私の創作する舞台作品では、早い時期に『役』について各役者さんとお話をします。その前に演出目標というテーマをスタッフ/役者さんに伝える訳ですが・・・これを拠り所として頂くためなのですが・・・そのテーマを基準に共通の世界観(完全に融和/融合するのは難しいことですが・・・)を持てたらと考えています。この役者さんとの対話があるのとないのとでは、公演時にお客様に観て頂く作品の出来が違って来るのではないかなぁ〜と考えています。


迷ったら、役に、作品に迷ったら、周りの役者さん、演出と話し合い、整理をして再度、役に向かいあう・・・そうした繰り返しが必要だと思うのです。
posted by 武藤賀洋 at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月30日

イメージは大切、思い込みは邪魔

いくつか作品を作って行く毎に『イメージは大事だな〜』と思う事がまま、あります。
読み合わせや道具、衣装が揃っていない時などは、イメージを十二分に発揮していないとどうしても、ただ、『読んでいるだけ』のお稽古/練習になりがちです。

俳優さんや声優さんとして大事なことの一つに
「想像力」というものがあると思います。この想像力を細部にまで発揮しないとお客様に伝わるものも伝わらない、ただ、音が流れ来るだけのモノになってしまうと思います。
イメージは本当に細部にわたるまでしなければなりません。
その役の背景、生い立ち、その時の心理状況、生理状態などなど・・・
何故ならば、わたしたちは生きている上でこうしたことは、ある種の本能で上記の状態を把握しているのだからです。ですので、『役として舞台で生きる』ということを考えた時に、役者さんは、その役のそういった事項を細部にまで考えておかなければ、薄っぺらい役になってしまいかねません。

同時に『思い込み』というものは作品を作る上で非常に邪魔なものなわけです。
『イメージ』は大事なのですが『思い込み』は邪魔。
作品は一人で作るわけではないので、役者同士、演出家や監督と役者と言った人々との『イメージの交換』が必要になってきます。
このイメージの交換の際に、『思い込み』が強く相手の『イメージ』を取り入れたり、融和できない人のお芝居には硬さや、”思い込み”、それらの弊害が出て来てしまいます。
自分の思い込みだけでお芝居としようとしてもできるものではありません。イメージを十二分に練って、他者とのイメージを交換し、融和する。
その中に役(自分)がどう見られ、どう見えて行くのか、役のとるべき行動のヒントがそこにあるのだと考えています。

思い込みを泣くし、柔軟に考え、イメージを広げて行く事が役者さんにとって重要なポイントの一つだと思います。
posted by 武藤賀洋 at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月28日

聞く・見る・動く

いやぁ〜2日坊主でした、すみません。
先日は知り合いの家にお呼ばれしてしまって、そこの子供(8歳女の子、5歳男の子)達と遊んでみました。

いやぁ〜子供の反応って素直でいいですよね〜
欲求とその時の事象に素直に反応する。
世の中のお父様、お母様は大変かもしれませんが、
子供の発想や動きにはとても刺激を受けますし、
なにより、一緒にいると癒されて良いです。

さて、今回は『聞く・見る・動く』という事を考えてみたいと思います。
お芝居は大概、何か対象に向けてやるものです。
相手役や何かのモノに対して等々…

台本には、いずれかのキャラクターが何か動きを発します。しゃべったり、歩いたり、見つけたり…
その動きを見て、聞いて、動くことがその役をつくる上での第一歩であると考えます。自分の感情や心理状況、背景を考えることはもちろんですが、この相手、他者の動きに反応し、呼応しなければ、作品は成り立たないことが多々あるかと思います。

台本には―――ト書きには―――ある程度限定された情報しか載っていないことがあります。これは、役をつくる上において"最低ライン"やるべきことであるわけです。この最低ラインを行ったからと言って、完了なわけではありません。

それ以上にその物語で生きているものとして、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、時には味覚も。感覚を十二分に生かさなければ「舞台の上で生きる」ことはできないと考えます。

そういった感覚を十二分に生かし、次の行動、所作(台詞を含む)に繋げていかなければなりません。人間の活動の中で、―――例えボーッとすることはあっても―――細切れな行動というのは、ありえないと思います。(そういうことを意識して行わない限りは…)

他者、相手の反応に呼応し、次の自分の行動に繋げていく、更に自分の行動にも呼応していく…演じるとはある種この繰り返しなのだと考えます。
ラベル:演技 舞台 役者
posted by 武藤賀洋 at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月25日

感極まる

今日の記事は『感極まる』ということについて書きたいと思います。

感極まる。
辞書では「非常に感動すること。」と出ています。
よく、「感極まって涙を流す」と言うと思います。

声優さんにしても俳優さんにしても、お客様に観ていただいて聞いていただいてはじめて成り立つ職業で、しかも、重要なのはお客様の心を動かさないといけないということが言えると思います。

お客様の心を動かすには、その役、キャラクター自体、作品全体がお客様に何かを訴え、心が震えないとお客様は笑ったり泣いたり感動してくれません。

例えば「泣く」シーンがあったとして、
結果としては涙を流したり、泣き声になったりとしますけれども、このお芝居をするためには役者の内部では感情をより昂ぶらさせる事が必要です。何故なら表面や声だけ泣いている感じになってもそれはあくまで”感じ”でしかないと考えています。

方法論として、舞台上で物理的に涙を流す場合と流さない場合(大事な台詞、効果的な台詞が聞こえづらくなると本末転倒なので・・・)が各々考えられますが、それを導き出すためには役者が本当に『涙を流すに足る心理状態』にならないといけません。

また、役者の技量として必要なのが感情の起伏に対して、振れ幅を大きく持たなければいけないと考えています。
これは、(実際にはありえるかどうかわかりませんが・・・)心底悲しい事があって大泣きした直後に心の底から笑えているお芝居ができるということです。
実際には気持ちの切り替えが難しい場合の方が多いと思いますが、ここで重要なのが、"泣く"ほうにも"笑う"ほうにも思い切り切り替えられるかということだと思います。

人間不思議なもので、抑えてやるのは簡単なんですが、思い切りやるというのはなかなかできないものです。それは恥ずかしさだったり、「これくらいでいいかな」という気持ちであったり・・・

ちょっと話がそれてしまいましたが、最初に書きました『感極まる』これがこの泣いたり笑ったりすることで非常に大事だと思うんですね。本来の意味としては、所謂”感動”ということ限定されていますが、ここでは少し拡大解釈して、「心が動く」ということしたいと思います。

この感情の振れ幅を大きくするのに、私がやっている練習方法があります。それは『涙を流す』ということです。
これ、結構難しいと思うんですよね。
例えば、感動するような映画を観たりすれば、流れるものが、何かのテキスト(台本)の中の役でやろうとすると難しいものです。
最初はたぶん難しいと思いますが、感動したり、悲しいシーンのある役を目の前にして、何分かかっても構いません。その悲しい台詞を良くイメージして、涙を流せるまで何度も何度もチャレンジしてみてください。そして一番大事なのが、涙を流した瞬間の『心の動き』『感じたこと』です。
これを覚える(というのは御幣がありますが・・・)ことによって、色々なお芝居に応用できると私は考えています。
ラベル:演劇 表現
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2009年07月06日

本気?!〜リミッターをかけない

いつも本ブログをご覧いただきまして、ありがとうございます!
最近は劇団の公演も近づいて参りましたのでお稽古にも俄然、熱が入ってきております。


さて、今回は『制限をかけない』ということを書きたいと思います。
以前の記事でもご紹介したかもしれませんが、改めて・・・


制限をかけないって・・・
ラベル:本気 制限 演劇
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2009年06月26日

イメージ&クリエイト

劇団のお稽古でいつも言っていることなんですが、
『想像』と『創造』は大事だと私は考えています。

イメージがはっきりしていないものは人間は表現できないのではないかと考えているからです。
あやふやなイメージのまま何か動作(台詞を言ったり、仕草をしたり)をしてもやはり、それはなんとも中途半端なものになってきてしまうと考えるものです。

台本や脚本、シナリオの世界では所謂、虚構のモノが書かれていることがあります。しかも、演じる役者さん本人としてみれば―仮令、キャラクターがその行動に必要な衝動があったとしても―全然必然性、必要性のない行動を取らねばならないわけです。

IMG_2350.jpg
また、こんなことも考えられます。
舞台でもアニメでも、現実にはまず実現不可能なことがままあります。また、犯罪行為が物語上では行われる場合もあります。
例えば、ドラゴンボールの孫悟空がかめはめ波を出したり、鉄腕アトムがそらを飛んだり。はたまた、王女メディアが子供を殺したり、前田慶次が人を斬ったり・・・
もちろん、画面や舞台上ではそのキャラクターたちがところ狭しと上記のような行動をしているわけです。それを演じる役者さんはこうした事ができたり、経験したりしているのでしょうか。
今までの経験上、空を飛ぶ人間もかめはめ波を打てる人間もお目にかかったことがありません。前述を演じる役者さん方は壮大なイメージを明確にもって、それを表現されているのです。イメージを漠然ともつことは存外簡単なのですが、事細かにイメージを練り上げていくこと、しかもそれを一瞬にして行うことがとても大事なわけです。
例えば、空を飛ぶキャラクターを演じたとしたら、飛んでいる時の空気感、自分の掌の感覚や顔の感覚、心情や視界を明確にイメージできることが大事だと考えます。

無論、法を犯さず、様々な経験を積むことで、より一層のイメージを深めることができるわけです。

例えば!
ヘリコプターに乗って空を飛んだことがある人とまったくない人では、上記のキャラクターを演じる時にベースのイメージが違うでしょうし、役作りの時間や方法もまったく違ってくると思います。

台本をもらったら、制限なく、まずは自由にイメージし、空想し、そしてそれを具現化するべく何通りも試してみる。そして、監督や演出の意向を聞いて、変更を時には根底から創りなおす、こういう作業が非常に重要だと私は考えています。

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2009年06月18日

テンションあげて〜

よく役者修行を始めた方と研究をしていて、
悲しいお芝居の場面で良く耳にすることがあります。

「ここの部分は悲しいからテンション下げて
 やったほうがいいですよね?」

私はこれに対して
「雰囲気は暗くはたまた切なくなるかもしれないけど、
 テンションはさげちゃいけないと思うんだ。
 寧ろ、テンションを張り切ってやってみると良いよ」
と言います。

この発言の源泉となっているのは、こちらの記事
参照していただきたいんですが、
人にお芝居−だけでなくとも、表現という広い意味で−を
通じて何かを伝えたい時に自分の気持ちの揺れ動きが下がっていたら、どんなに良い物言いでも伝わることができないと
考えています。

テンションを張った状態であれば、他のモノ(相手役や
装置、小道具に至るまで)の動きや情景がはっきりと感じられますし、何よりお稽古中や録音中には演出家や音響監督さんの
指示などがすんなり入ってくる(もしくはオーダーに対して
敏感に対応できる)のではないでしょうか。

どんな場面のお芝居でも、
テンションはきっちりと張って、いろいろな状況に
対応できるようにしておくことこそが
役者さんにとってとっても必要だと考えています。


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2009年05月28日

見てみて、聞いて、交換して---

よし!舞台をやろう!と思うと色々とやることが浮かびます。

読み合わせしたり・・・
段取り決めたり・・・
立ち稽古したり・・・
衣装つけたり・・・

と俳優さんの立場、スタッフの立場色々な側面から見てもやる事がたくさんあります!


今回はそんな中でもすごく時間を割いても良いんじゃないかと思う事柄について書きたいと思います。
それは「関係性について話し合う事です。」


多くの戯曲や脚本は複数の登場人物が出てきます。
それらの登場人物の関係性、間柄というものはその物語の中で語られる場合と
そうでない場合があります。
そうでない場合・・・これは俳優さんだったり声優さんだったり、演出だったり監督だったりが、イメージを膨らませることは必須であろうと私は考えるわけです。
しかし、考えて、お芝居をしたとしてもどうもしっくりこない場合があると思います。
そんな時は役者さんやスタッフも交えて、一つ一つの役の関係性について話し合う事が非常に大切だと考えるわけです。
これはわかりきった部分もあるかと思います。
例えば親子とか・・・恋人とか・・・
しかし、どんな親子でどういったところに住んでいてお互いをどう思っているかなんていうのを役者間同士、または全体で確認してみることは芝居をつくる初期段階においてとても重要だと考えるわけです。
IMG_3338.jpg
同時にこの部分がはっきりしていて、役の立ち居振る舞いや仕草、モノのしゃべり方なんていうものに迷いを感じたら、『作品全体の表したいテーマ』やこの『関係性』が拠り所になると思います。仮令、物語の中でけして交差しない登場人物同士の関係性も誰かを通じて必ずあるという観点に立った場合、その人物達の関係性について話し合って行く事はけして無駄ではないと考えるわけです。そうしたことでより「通された誰か」に対しての関係性がより深く明確にわかる事によって、お芝居に反映されると考えます。

例えば、物語の設定が現代とはずれている場合、今この瞬間の時代だったらどういうような関係性なんだろうと仮定しても面白いかもしれません。そうすることによって、台本の背景や時代、全体像がまた明確になるかもしれません。



昨日は劇団新和座のお稽古でした。キャスト全員と演出の私で各々の役について関係性を話し合いました。色々な意見が出て大変盛り上がり、また、今回の演出目標に即した部分やそうでない部分が色々でたりして、私のプランにもおおいにプラスになるものでした。
こうした話し合い、論議もお芝居を創る上では非常に必要なものであると改めて思いました。


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2009年04月13日

現場

久々にこのブログを更新しております。
あまり更新しないのにも関わらず、毎回、見て頂いている皆様、
ありがとうございます!

今年は”チャレンジ”、”挑戦”をテーマに活動してまいりたいと思います。
引き続き、ご声援賜りますよう、お願い申し上げます!


さて、実は私が演出をつとめております、『劇団新和座』の旗揚げ公演が
今週末に控えておるわけですが、実は劇場という空間は演出する人間にとっても俳優さんにとってもものすごく色々なものを与えてくれる空間であると思います。

声優さんの世界でもそうであると思いますが、(実際、知り合いの声優さんに伺ってもこのようなお話をいただきました。)『現場で育つ、現場で鍛えられる』ということが言えると思います。

20090408144924.jpg
舞台芸術家にとって現場とはまさに劇場であるわけですが、今回は新和座にご協力頂いているチャイカ.アーツ様の公演が行われるART THEATERかもめ座の姉妹劇場『アルシェ』でお稽古が出来ました。劇場では、声の響き方から、身体の使い方までお稽古場とは違った感触であります。これは、劇場を構成している素材(壁や床、平台などの素材)がお稽古場とは違うために感触が違うのは当然のことと言えます。


また、劇場という空間にはお稽古場と違って、俳優さんやスタッフが醸し出す雰囲気(モチベーションなども)も当然のことながら違ってきますので、色々な”気付き”や学習、研究が一層進むものなのではないでしょうか。やはり『現場』で我々は育ち、鍛えられるものだと改めて感じました。

 公演本番はさらに『現場』が『公演会場』となり、お客様が見えます。そのときに更に、『現場』は真の意味での『劇場』となり、我々にとってもさらなる成長が期待できる『現場』となるのだと考えております。


★★★★★★★★★★★★★★★★★
【宣伝】
劇団新和座 旗揚げ公演 『王女メディア』
劇団新和座では来る4月17日より阿佐ケ谷はART THEATERかもめ座にて旗揚げ公演を行います。演目はギリシャ悲劇の名作”王女メディア”
詳しい情報はコチラからお願いします!



ラベル:演劇 声優 俳優 現場
posted by 武藤賀洋 at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月24日

理由のおはなし

以前にも書いたかもしれませんが、お芝居をする上で『理由』というのは実に大きな要素ではないかと思います。
物事には必ず理由があると私は考えています。


『日本では昨日は祝日でお休みでした。
何の日かというと天皇誕生日でした。
だから祝日だったんです。』

ちょっと強引な例かもしれませんが、祝日一つとっても理由があります。根拠といってもいいかもしれません。同時にお芝居の役が行う一挙手一投足にも理由があると思います。


お芝居はつまるところ、ご覧いただけるお客様の感性に如何に響くかという、感覚的な、見えないものだと言えます。しかしながら、創作する現場、特にお稽古場では、その感覚を大事にしながら、相手の役者さんや、演出などにそのお芝居の根拠と理由を説明できないといけないのではないでしょうか。
何故なら、そこにいる人数分、人の考えや思いがあるのですから。
そうした意見交換やお稽古、練習の中で、さらに深みのある役同士の関係性、お芝居が生まれてくるように思います。

反面、本番では、そのお芝居についての『理由』や『根拠』(故意に台詞としてない限り)を説明するわけには行きません。その代わりに、動作、しぐさ、台詞、表情といった役者が使うことが許されるすべてを使って『説得』しなければなりません。


私が演出をしている劇団研究している専門学校では、なるべく根拠や理由を明確に言ってもらうようしています。
それは、他者に自分の行動(しぐさやせりふ)の原動を示すことにより、他者(役やモノ)といった関係性をより深く追求するために行ってもらっています。

例えば、笑う芝居があったとします。その理由として、
「笑いたいと思ったから笑った」と言ったとします。
こちらは、どちらかというと、感覚的なものだと思います。
そこで、
「テレビを見ていて、贔屓のお笑い芸人がこれまた、好きなネタを披露していたので笑った。」
とすると何を見て、何を感じて笑ったのかより明確になったと思います。
また、これを聞いていた、練習に参加している役者さんや演出家が
「贔屓のお笑い芸人のどこが好きなんだろう?」
と疑問に思い、問いかけとします。
先ほどの理由の発言者はその『要因』について想像を膨らませることができ、また、一つ役と向かい合うことができると思います。

以上の考えからお稽古場では理由をはっきりとさせ、本番ではお客様に少しでも心に響いていただけるお芝居を目指しています。
posted by 武藤賀洋 at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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