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2008年12月23日

館とつくもの

私が研究を行っている専門学校でも良く言っていることなんですが、
「生のものを見なさい」と言っています。

舞台はもちろん、生で見た方が俳優や声優を目指す人にとっては刺激の受け方が映像を通してよりも、比較にならないくらい、衝撃的だとおもいますし、
機会があれば、収録現場や公開録音などでのラジオDJの方や声優さん、役者さんの声量や声の響き、ライブ感なんていうものを感じるのはとても大事なことだと思います。

少しお芝居から離れて、「刺激をうける」ということを観点に考えた時に、
『館』とつくような場所はそのような刺激をうけるのには絶好だと考えています。

水族館、美術館、博物館、図書館、映画館・・・

映画館もいいのですが、ちょっとここでは「生」ということに着眼していくと、
泳いでいる魚が間の前にいる、
絵画が油絵が目の前にある、
江戸時代のお姫さまが使っていた道具がすぐそこに・・・
などという事実から、
泳いでいる魚の習性だったり、魚類についての知識だったり、泳ぐ姿そのものだったり、
所謂、有名画家の絵画、彫刻についての知識、装飾品の美しさ、歴史感のある使い古
された道具について、新品の時はいかようだったか、どんな使われ方をしたのか・・・
などなど、気づいたり、感じたりすることが多様にあるように思われます。

以上の事から、「館」とつくもの、(つかなくても、動物園などの)『生』に触れられる場所というのは感性を刺激し、想像力を高めるのにはもってこいだと思います。

役者稼業にとって、感性を磨くというのは必要不可欠に感じます。
posted by 武藤賀洋 at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月22日

脚本を持つ意味

いやぁ〜しばらく書いてなくて皆様、ご無沙汰しております。
なんだかんだで、三日坊主の悪い癖が出まくりでした。。。。


さて、今日からまた、ぼちぼち、書いて行こうかな〜なんて思っています。

本日は私の考えといいましょうか、模索中のやり方と申しましょうか・・・
『台本はゲネまで持っていて良いよ』という事について書きたいと思います。

私は一緒にやって頂く役者さんに
「ゲネ直前までは台本持っていてもらっても構いませんよ」
と言います。

1221_2.jpgこれはですね、本心を言えば、”早いところ台本の内容を身体に入れてもらって、離してほしい”ということなんです。しかしながら、無理に離そうとすると、お稽古が台詞やト書きの暗唱大会になってしまう。目をつぶってみたり、意識が散漫になってしまう。他の役者さんやスタッフにも迷惑がかかってしまうと考えたからなのです。
しかしながら、台詞やト書きを所謂、暗記をしなくてよいかというとそうではありません。台本を持つというのはあくまで補助的にやってほしいと思っているのです。

もう一つの理由は「台本は自分でつくるもの」というのがあります。
台本は各人がメモ、アイデアなどをふんだんに書き込み、それをお稽古の中で見せてほしいと思っているのです。

お稽古は他人の為に動くようにするために、自信のない部分は台本を持ち、練習の際は暗唱をするのもいいでしょう。

私も模索中のやり方ではありますが、ここの5年ほど、効果はあげていると思っています。

しかし、実験を繰り返し、更に良い方法がないか、探しているところでもあります。
posted by 武藤賀洋 at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月05日

情報を集める

演出ノートBlogの「表現論」としての記事を書くのはとっても久々なのですが、
やはり、日夜の研究は大事だなぁ〜と思いますし、
日頃の基礎訓練ってのは大事だとやっぱり、感じてしまいます。
昔言えてた台詞が詰まってしまったり、噛んでしまったりなんてことが
あると、いくらもう人様の前で演じることがないと云っても、しょんぼりに
なってしまいます。
学生さん達も夏休みに入ったのでまけずに1日2回外郎でも売ってみようかな〜
と思っています。

さて、さて。
今回は「情報を集める」ことの大事さというか、大切さというものを
書いてみたいと思います。

学校や職場において、先生やお友達、同僚に何かを聞かれて、
答えられなかったり、言葉に詰まってしまう事ってあるのではないでしょうか?
原因として考えられる事は多々あると思いますが、(ちょっと乱暴ですが)
つまるところ、その話題についての情報が足りないとそういうことに
なるのではないでしょうか。
そして、その話題についての情報や知識がないとどうしてもしどろもどろ
になってしまう。。。これは仕方のない事だと思います。
こうならないように情報や知識を入れる事はとても大事だと感じます。

ちょっと見方を変えて、お芝居について考えてみたいと思います。
とある役をしている時に、演出や監督、先生からダメ出しを何度も
うけても、思うようにお芝居できないのは何故でしょうか。
色々要因はあると思いますが、やはり’情報が足りない’ということに
尽きると思います。
では一体、何の情報か?
―――それは役の情報に他なりません。
その役の氏名、性別、生年月日、好きなもの、嫌いなもの、友人、家族、恋人、
利き手、足のサイズなどなど・・・・
役について、役者である自分の’目’、’耳’、’鼻’、’触覚’などを駆使して、脚本を
研究し、解釈し、一部の台詞のみならず、仕草、物語、他者との関連、関係と
いった情報を集めて、理解しておく事がダメ出しに即座に対応できるポイント
だと私は考えています。
もちろん、思い込みという部分もあるでしょうから、柔軟に且つ綿密に情報を
集め、物語の中で役を生かすように準備―――情報を集める―――することが
大事なのだと、私は考えます。





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posted by 武藤賀洋 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月29日

出る側

声優や俳優を目指すということは必然的に"出る側"になるわけです。

見る側にいるのであれば、気に入らない番組であれば、―――例えばテレビであればチャンネルを変えるなどして―――見なければ済みます。

しかしながら、出る側となるとそうは行きません。
つまらないからといって途中退場や、わがままを言っていては次の仕事はきません。

出る側になると決めたら、自分の都合や好みは優先されないのです。
posted by 武藤賀洋 at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月28日

視線

お芝居をしているときに、視線、目の動きというのはとても大事なものです。

電話で話しているときと、直接会って話す時―――お友達と話す時、
どちらが話がスムーズにいくでしょうか。

私は直接会った時だと考えます。

何故ならば、電話は(テレビ電話ではなく、普通の、)耳からの情報のみですが、
直接あえば、目、耳、鼻、触覚・・・様々な情報が入って来ます。
こと、目から入ってくる情報は大きいものがあります。
相手(の表情)を見て、
「あ、今日は何か良い事があったのかな・・・」
「今日は顔色悪いな〜」
などです。

また、不思議なもので、人は目を見て話すと感情が昂り、
(話の内容にもよると思いますが・・・)
とっても良い話し合いになると思います。

お芝居も同じで、視線、目から入ってくる情報というのは
とても大事です。

他者(他の役、装置、小道具などなど)をしっかりと
確認し、情報を”役として”整理し、
所作、台詞を行うということは、とても大事だと思います。
一般社会、生活の中でも行われていることなのですから、
これをしない手はないのではないかと考えます。

目というのはとても重要な器官であり、
同時にお芝居をする上においては、視線の定まり、
どこを見ているかによって、発せられる
仕草、台詞は大きく変わってくると思います。

  例えば、ラブレターを読むという脚本があったとします。
  無論、ラブレターの本物があれば、それに目を向けながら
  読むのがいいでしょう。
  しかしながら、無対象(ラブレターがない)としてやる場合、
  きちんと、ラブレターに視線がおち、文字を追う事が
  できるでしょうか。
  できなければ、本物を用意すれば良いかもしれませんが、
  それが虚構のラブレターでは意味が半減してしまします。
  モノがあってもなくても、視線をきちんと意識して行えば
  イメージがわいてくるものだと思います。
 
視線、目というのはお芝居(のみではないですが)をする上に
とって、イメージを広げる重要なものであり、
情報を受け取るのにもっとも適した器官だと私は考えます。

声優のアテレコ、アフレコでも同じ要領で、画面に移る
キャラクターの表情、情景、風景をきちんと理解、把握
整理をしておかないと役の台詞は吐けません。

お芝居をする上で視線、目に気を配るともっともっと役について
色々なことを感じるのだと思います。







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2007年05月12日

関係性

舞台でもアニメーションや洋画でも、大体の場合、役が複数あります。
お芝居をして行く上でその役同士、または役と空間、役と小道具などの
関係性というのはとても大事なものだと私は考えています。

自分の役と他者の役の関係性を追求する事によって、
自分の台詞や仕草、動作の理由や動機を見いだせる事も多々あると
思います。

また、台詞として絡まない役同志であっても、
脚本の物語以前や以後にどのような関係であったか(になるのか)
ということを構築することによって、
物語中の所作がより詳しくイメージできることがあろうかと思います。

同時に物語の最中で関係が変化することもあると思います。
その契機となった所作を中心にその変化を十二分に研究することも
役作りの一つだと考えます。


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2007年05月11日

イメージはくるくる変わる〜

お芝居をしていると、色々なイメージが出てくると思います。
そうした中で気をつけなければならないのが、
「イメージが固まって」しまうことだと思います。
所謂、固定観念です。

お稽古をして行く中である程度のイメージは創作し、固まってしまう
ものだと思いますが、
そのイメージが時には柔軟な表情やお芝居の邪魔になってしまうことが
ままあろうかと思います。

無論、基礎となるイメージは大事ですし、お芝居を通じて
細かな想像をすることは大事です。

そのイメージを固める事なく、
相手役、場所、装置、道具などときちんと向かい合い、
イメージをどんどん鮮明に、毎回毎回、変えて行く事が
大事なのではないか、そう考えています。


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2007年04月15日

声優さんの素

私は専門学校で講師をしているのですが・・・
そこに教えに来ていただいている、同僚の声優の先生も云います。
「やっぱりお芝居ですよ」

私もそう思います。

この記事を読んでくださっている方の中には、
声優さんは「脚本を読んでいる」と思う人が多いかもしれません。
ですが、やはり、声優さんはキャラクターを演じる上で
しゃべっているわけです。

そして、実はあの脚本の中のト書きや台詞を覚えているわけなんです。
(大体、1週間〜3週間くらい前に脚本やビデオをもらい、
 練習やお稽古などをします。)
その声優さんがお芝居するからこそ、素晴らしい作品が出来上がる
わけです!

だったら、何故、アテレコ現場で脚本を持っているのでしょうか?
端的に云いますと、あれは「念のため」なのです。
脚本の中にはダメ書きがしてあったり、色々なメモの他、
重要な情報も書き込まれています。
そして何より、台詞を一言一句間違わないために「念のために参考に」
持っているのです。
脚本を持って読んでいるわけではけしてないわけなのです。
台詞を入れて、きちんとお芝居しているんですよね〜


さらに云うと、お芝居とは、無論、声や口だけで行うモノではありません。
仕草や動きといった身体すべてを使います。動かし、表情をつくるからこそ、
声にも反映されるわけです。
しかしながら、声優さんの現場ではマイクで音を拾ってしまう場合が
あるので「動けない」わけです。
けして、うごかないわけではないのです。


声優さんの素もお芝居、演技に他なりません。
身体を動かし、表情を作り、そして繰り返す事によって、やっと
声に反映されるものなのです。
posted by 武藤賀洋 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月04日

観察

声優や俳優という役者のお仕事にとって、大事な要素の一つとして
『観察』することがあると思います。

例えば、公園に咲いている花。
毎日、毎日眺めていると、いろいろな状況によって変わってくると思います。
それを見てどう感じるでしょうか。
ー気温や、天候、明るさなどなど、様子は左記のような要素に
 よって変わってくると思います。

それを見て、自分の心の中に去来するものを思いとめておくのは非常に
大事だと思います。

これは人間観察も同じです。
その人々の仕草や物言いの観察もさることながら、
自分の心にどう移ったかということを確認するのは
もっと大事だと思います。

そうしたことを言葉に、(ノートなどに)書いて残すのも
良いかもしれませんね。
posted by 武藤賀洋 at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

お稽古場

私はお稽古場を次のように考えています。

・場所は屋内であること。
  発声練習や、特殊な(野外劇など)場合をのぞいては
  お稽古は屋内でやるべきだと思います。
  何故ならば、大抵の場合、お稽古は自分の役に没頭し、
  様々な状況に自由が利く空間である必要があるからです。
・時間は選ばない。
  深夜であろうと早朝であろうとかまわないと思っています。
・その作品に対して、その時間のお稽古に対して、満足する人員がいること。
  その作品について全てのキャスト/スタッフがそろっていることが前提ですが、
  色々な事情からそうならないこともままあります。
  その日のお稽古内容について、滞ることなく遂行できる人員がいること
  が必要です。
・演出、ディレクターまたは先生がいる。
  私が思うお稽古とは先生、演出家、ディレクターがいなければ
  お稽古ではないと思います。
  役者同士でやる練習は大変必要ですが、あえて前者と後者を分ける
  のは、目的が違うからに他なりません。
・作品について関わる時間と空間。
  仮令、同じ場所でも、休み時間であったり、食事時間であったりした
  場合は、お稽古場ではないと思います。
  ただし、食事をとっていても、作品に関する話が出ていたとしたら、
  そこはお稽古場です。
  また、まったく関係のない、喫茶店などで作品について関わっていて、
  上記の条件があれば、そこはお稽古場だと考えています。

上記のような要素がお稽古場として最低限、必要不可欠なものだと
私は考えています。
posted by 武藤賀洋 at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月28日

好きなものと出来るものと似合うもの

お芝居をしていると、
 ・好きな役
 ・やりやすい役
 ・(お客様に)誉められた役
 ・やりずらい役
 ・出来そうにない役
などなど色々と出てくると思います。

こうした役の中で気をつけなければいけないのは
「自分で好きな役と、似合うものは違う場合がある」
ということです。
何故ならば、根本には他人の目と自分の思いというのは
必ずしも一致しないものであるわけですが、
それと同等に自分の見た目の長所や短所、声の特性、物言いや
仕草の特性などをしっかりと把握しておかないと、
こうした隔たりがでてくると考えます。

ですので、お客様や演出やディレクター、役者仲間の意見を良く聞き、
ーしかしながらそれにとらわれる事なく、ー
自分の似合う役、出来る役というのを探し構築していく必要が
あると思います。
同時にそれらが”自分の好きな役”、”代表的な役”となるともっと
素晴らしいのではないでしょうか。
posted by 武藤賀洋 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月26日

お客様のご勝手

またも乱暴な持論を・・・。

作品を見ていただいてご評価されるのはお客様であり、視聴者であると思います。
けして、役者であったり、ディレクターや演出家ではないと考えています。

結論から申し上げると、
役者として常にお客様の目というのは気にしなければならないと思いますが、
役としては、お客様の目を気にすべきではないのではないかと思っています。

つまりは、役は自分が演じるわけですが、お客様のご評価や
イメージまでを考えて表現するというのはベテランの方々の領域に
達しないとできないと考えています。
自分の役と真正面から向き合うことが先決で、そこにお客様のご評価
が入り込む隙間というのはないと思います。
仮令、あっとしても、複数いてくださるお客様、すべての感想や
イメージを取り込むことはとっても不可能に近いのではないか、
そう考えているのです。

役者としての立ち居振る舞いは常にお客様の目にさらされているわけですから、
姿勢、態度などは日常から気をつけていなければならないと思いますし、
当然のことだと云えます。
しかしながら、やはり、役づくり、役と向かい合う居面では、
舞台外のことよりも舞台の内に五感を傾けて取り組む事が
大事なのではないか、そう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月24日

’しなければならない’のではなく’する’

またも私の乱暴な愚見を。。。

お芝居はつまるところ、
「しなければならない」事というのは非常にすくないと思います。
その時点で役者が役になっていないと考えます。

 台詞一つ、ト書き、仕草、動きひとつひとつとっても、
すべては必然性があって、行動していると思うのです。
とたえ、その役が脚本上で「しなければならない」行為をしていても、
役者にとっては「しなければならない」という理由、必然があって
演じると思うのです。

 つまりは、欲求や衝動、きっかけがないとその役についての表現が
足りないのではないかと考えています。
人間は生きる為にご飯を食べます。これは必然であります。
「食べなければ生きて行けない」ともできますが、
人間の本能としては’食べる’、’食べたい’ということではないでしょうか。

脚本を良く読み込み、その役の欲求や行動への衝動といったものを
良く解釈し、それを自分のきっかけとして表現していくことが
基本なのではないかと私は考えています。
posted by 武藤賀洋 at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月15日

REASON

と英語が書いてみましたが、
云いたいことは
「役のしぐさや科白を含めた行動にはかならず理由と根拠は必ずある」
というなのです。

私たちが普段生活していて、なにげなく行っている行動も
”必要”にかられて行動しているのではないでしょうか。
それが理由であり、根拠であるわけです。

役を研究することは脚本をよく読み込むことが通説だと思いますが、
その役の心理、背景を十二分に研究して、
科白、(ト書き、ト書き外も含めた)行動というもの一つ一つ
に理由、根拠を見つけ出すからこそ、その役に愛着がわくと思うのです。

しかしながら、その理由は「(役者が)やりたいから」では
ちょっと不確かになってしまう気がしています。
演出や作品のテーマを噛み砕きつつ、役者同士間、演出役者間などで
関係性や理由や根拠について十二分に、幾度となく、話し合いたいもの
だと私は考えています。
posted by 武藤賀洋 at 00:04| Comment(2) | TrackBack(1) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月26日

せりふのやりとりに非ず

またまた、乱暴な考え方ですが・・・

よくお芝居は『台詞のやり取りである』と耳にします。
これは私はあくまで結果であり、これを目的にしてお芝居は
成立しないのではないかと考えます。


 例えば、与えられた役があるとします。
その役の状態を台詞の内容、相手の台詞の内容などによって
理解することが多いとお思います。
相手役が怒ってそうな内容の台詞であれば、怒られているか、
喧嘩しているか、などの予想がつくでしょう。

その予想を元にお芝居を構築していくわけですが、
自分の台詞をしゃべる際、相手の台詞を聞いて反応するのは
もちろんのこと、もっと前、舞台の幕が開いた時から
感情の、心の移り変わりは始まっているわけです。
ですので、結果として台詞のやり取りが行われるわけですが、
舞台上でおこっている様々なことに対して、反応し、
心を移りかえるからこその結果だと思うのです。

台詞のやり取りは元を追うときっかけのやりとり、
心の移り変わりのやり取りではないでしょうか。
posted by 武藤賀洋 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月25日

リミッターをはずす その3

先日も書きましたが制限をなくし、リミッターを外すことは
お芝居の本番でもお稽古でも必要であると考えます。

ちょっと観点をずらして考えてみましょう。

お芝居を仕事として捉えてみます。
仕事、つまりお金をもらい、生活の糧にするわけです。
生活の糧―――人間以外の動物、とくに肉食動物は獲物を狙います。
獲物を狙う動物は常に真剣です。
気配をコントロールし、身体も弛緩と緊張を繰り返しじっくりと狙う。
しかも、自分の持てる力を出し切ります。
そうして、その日の食料、糧にありつけるわけです。

人間も仕事をすれば、汗をかき、身体を酷使して真剣に取り組みます。

お稽古も仕事と捉えたら、お稽古が終わり、お稽古場から出てきたら、
精神的にも肉体的にも真剣になったが故に疲れている事がのぞましいでしょう。
その対価として、色々な技術、お芝居などが身に付き、
その上で仕事としてのお金、糧が得られるのではないでしょうか。

世の中に疲れずにもらえるものなどありはしない、そう考えるのです。


posted by 武藤賀洋 at 01:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月24日

色々な知識と知恵

この仕事をしていると色々な職業の人に出会います。

 魔法使いだったり、
 変身ヒーローだったり、
 悩める大学生だったり、
 純朴な高校生だったり、
 車好きな人だったり・・・・

無論、脚本上の中だけの場合もありますが・・・

こうした役を創っていくときはやはりその役の職業の知識というは非常に必要に
なってくるでしょう。
しかもこれは脚本をたよりにお稽古前には調べておくのは当然としても、
専門用語というものには結構苦労させられます。。。。
しかしながら、なんとか調べたこういう用語の意味や読みは知識となって
蓄積されていくことと思います。
これは俳優や演出にとって必要不可欠で財産となるべきものだと言えるでしょう。

ここでもひとつ重要なのはこの調べ方、この蓄積したモノの再利用の方法だと
思います。方法は様々あるでしょうが、この調べた実績、調べたものの履歴、
蓄積したものがつながっていって、「知識と知恵」というのが上手い具合に
はたらくのではないか、そう考えています。

我々はいろいろなものに対して常に研究心、好奇心をもって取り組むことが
必要な職業なのではないでしょうか。
posted by 武藤賀洋 at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月22日

固める必要はない

とまたまた、乱暴な考えですが・・・

例えば仲間同士で練習をしていたとします。
「コレ、こうするといいんじゃない?」
「ここはもっとこう動くべきだな」
こういう活発な交流はどんどんするべきだと思います。

ただし、

このまま固めてしまってはいけませんね。
あくまでもこれは練習の一環であり、段取りに過ぎないので。
そして、俳優仲間からも演出家からでも、
「こうしてみたら」
という話にすぐに対応し、できなければなりません。
なぜなら、そこで
「こう思っていたのです」
「それはおかしくないですか」
っていう言動が出てきてしまっては俳優さんをせずに
評論家にでもなったほうがいいでしょう。

我々の職業は創っては壊し、創っては壊し。
破壊なくして創造はあり得ないと思います。
時には自分のイメージでさえも壊して。

大袈裟に言うと、たとえ舞台本番の時でさえ、
固める必要はないと思います。
舞台上に役として行き、すべてに意識が配れるのであれば・・・
posted by 武藤賀洋 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月19日

周りを良く見る

脚本以外にも役についての情報というのは様々あります。

例えば、相手役の表情。
これはすばらしい情報源です。
自分の台詞、仕草によって相手の表情がかわってくるわけです。

もっと言うのならば、(究極的には)相手のお芝居、表情さえもコントロール
できるはずなのです。
(それには無論、「コントロールする」という目論見があって初めて具現化すると思うのですが・・・これはまた別の機会に。)
というよりも、普段のおしゃべりの中では常に相手に反応しながら私たちは行動しているはずなのです。
例えて言うならば、お友達に何か悪気なく辛辣なことを言ったとします。
相手の反応を見て、凹むこともあれば、更に攻める場合もあるでしょう。
そのときに言い方などはお芝居をするときほど気にしていないと思うのです。

ちょっと逸れてしまいましたが、
我々は生活している限り、様々な情報を色々な所から享受します。
それを少なからず生かしながら生活していると思います。

舞台やアニメ、洋画の世界も同じです。
そこにいるキャラクターを、役を生かすわけですから、
その世界にある全てを良く見、感じ、反応しなければいけないのではないでしょうか。
それが生きるということだと思います。





posted by 武藤賀洋 at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月12日

はだか

またもや乱暴な論調ですが、
「お芝居ははだかでやるべき」
だと思うのです。

もちろん、公演とする場合、色々な問題が含まれますから
実際には服を着るわけですが・・・

空間も服も小道具もないままにやって、見ている人に
それが見えるようにする表現が基本なのではないかと思っています。

しかしながら、人間は完璧ではありませんし、超能力者もそうそう多くは
いないでしょうし、天才もいないと思いますから、
なにがしかの”付け加え”が必要になってくると思います。

衣装であったり、道具であったり、メイクであったりという付加するものは
イメージを広げるための道具に過ぎないと思います。
反面、この道具に左右されてはいけないのではないかとも思います。

衣装がなくとも道具がなくとも、私たちはお芝居をし続けるかぎり、
それらに頼る事なく、役の真情を吐露していかなくてはならないと
考えています。
posted by 武藤賀洋 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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