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2006年11月16日

主役も脇役もない

これまた、乱暴な考え方ですが、
声優さんや俳優さんは物語を読んだら「主役」「脇役」というのを
勝手に決めてはいけないと思います。
心で思ったとしても、けしてお稽古場や現場で表してはいけないと思います。

ましてや、台詞の多い少ないで主役、脇役を決めるなんて愚の骨頂だと思います。
登場人物は例え、台詞が多くても少なくとも、生きています。
それを他人(役者)が判断していいわけありません。(無論、演出家もですが・・・)

物語を客観的に見るのはとても大事なことですが、それは、読者、お客様の感想
であって、役に向かう際には邪魔な考えではないでしょうか。

舞台上に生きているキャラクターに真摯に向かい合い、役をつくる。
そこに、役者の感想が入る余地はないのではないかと考えています。
前述しましたが、役をつくる際、役者の事情やお稽古場外のことを持ち込む
ことは忌避しなければいけません。
そうした余計なことが意味の無い所作をつくり、余計な固定観念を生み、
もっと言ってしまうとお芝居自体に制限をつけてしまうと思います。

物語も自分の役が常に所謂主役であるとし、読んでみると違った解釈が
得られるかもしれません。
同時にひとつの物語の中でも、自分の役が主となる場面、脇となる場面
を見つけてみるのも面白いかもしれませんね。

私は全ての役は常に主役であり、常に脇役なのではないか、そう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月15日

解釈の大切さ

お芝居は何度も書きましたように
「答え」など存在しないもの、そう考えています。
もし、答えが存在していたら、誰がどのようにやっても、同じに、
まったく同じになってしまいます。

では、何故そうではないのか。
作品に対する解釈が読む人、読む人によって違うからです。
解釈とは個人のもっている、許されるべき、感情の基となるものです。
この解釈を明確に、日本語で表現できなければ、
どんなに声を良くしたり、どんなに体がうごいても、意味はない、
そう考えています。
解釈は自由に行えます。この解釈をきちんと持つことが
複数で作業する際に他者の解釈をも受け入れ、混ぜることが
できる基本であると考えます。
きちんと自分で解釈するという行動をとると、
やはり何パターンもの解釈の案が出てきます。
その何パターンもの解釈をすべて掘り下げて行くことで、
矛盾などが見つかりやすくなり、同時に他者の解釈を受け入れやすくし、
制限の、邪魔な制限や固定観念がつきにくくなるのではないか、
そう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

緊張と硬さ

先だっても書きましたが、お芝居をしている時には
テンションを張る、という意味での緊張はとても必要だと考えています。
しかしながら、緊張を通じて、身体が硬くなったり、気持ちが切り替わらなかったり
したら、これは本末転倒です。

−――例えば車を運転する人はよくご存知かもしれませんが、−――
『前を見て運転しましょう』
よく言われる注意文句です。しかしながら、これを額面どおりに捉えたら、
安全運転の一部分しか反映されていません。
車を運転していると、四方八方から危険がやってきます。
ルームミラーを通じて、後ろの確認も必要です。
前だけを見ていたら、大変です。
脇見よそ見をするのではなく、四方八方に注意を配ることが
安全運転の秘訣だ、そんなことを警察の知り合いの方に教わったことが
あります。

上記は例え話ですが、昨今問題になっている、飲酒運転。
飲酒をしたら、注意力散漫、状況判断が鈍くなってしまうため、
事故を起こす可能性が非常に高くなり、
その事故は致死率が高いというのは誰が考えても明かだと思います。

お芝居も、脚本があるとは言え、計算し尽くされない部分も多くありますし、
そういった世界でお仕事しようと思うのなら、
常に舞台上の至る所に注意を払い、自分の動きは自分でコントロールできるように
していくことが良いかと思います。
注意を払い、それに反応できるようにすることが非常に重要だと思います。
これは視線や聴く力などが色々な状況からくる硬さで役に立たなければ
まったくもって、意味がなくなり、「前だけみる」運転になってしまい
かねません。

お芝居をする前には準備運動などをしっかりとして、
対応できるリラックス環境を自分で構築することが一番だと考えています。
posted by 武藤賀洋 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月12日

役とキャラクター

私の乱暴な持論の一つに「役とキャラクターは違う」というのがあります。

昔からなのですが、「キャラ作り」というのはどうもしっくりこず、
「役作り」というのがしっくりきます。

ちなみにキャラクターというのを辞書でひくと、
 ・(人の)(他と異なる)個性, 性質, 性格, 気質;特徴
と出ています。
私は、演者、その人そのものの持っている特性や
物語に出てくる登場人物の特性や性格に基づくものを
をキャラクターとし、
それを俳優さんや声優さんがやることを役だと思っています。
したがって、キャラクターと役は似て非なるものだと考えています。

どうしたって、役者さんはその人物になりきる、なることなど
不可能なのだと思いますし、
そのキャラクターどおりの行動や所作を行っていたら、
誰がやっても同じになるはずではないでしょうか。

キャラクターを良く熟知し、理解し、想像した上で
役を創り、表現して行く事が役作りであると私は考えています。
posted by 武藤賀洋 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月10日

内輪ネタが何故いけないか

至極当然の話ですが、アニメーションにしても舞台にしても、
演じている声優さんや俳優さんは名の通っていない人を除けば
その演者、本人自身のキャラクターなどというものは見ている人
にはわかりません。伝わるのは、その演目、作品の途中でじわじわと、
だと思います。
(また、名の通っている方でも、その全てのキャラクターを
 知っている人というのは、近しい人だけだと思うのです。)

ということからすると、お客様はほぼ何もしらないで演者を見たり
聞いたりすることになります。

そこで、内輪ネタ、見ている方がわからない事をしても、
面白くない、という以前に「何のことかわからない」という
ことになろうかと思います。
説明不足に他なりません。

しかしながら、面白い内輪ネタ、演者の特徴に特化した部分と
いうのもあると思います。
これは、『慣れ』が少なからずあろうかと思います。
この『慣れ』といのは、その内輪ネタをきっと何回も何十回も
やったから繰り返し見に来てくれているお客様、
前作を観に来て頂いているお客様が内容をわかってくださるため、
そのネタの面白みが伝わって来たのだと思います。

パロディーや、内輪ネタで面白いものも多数ある訳ですが、
それも一朝一夕ではなり得ないものではないか、
私はそう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月06日

思うとおりにいかないから面白い

こと舞台に関してですが、当初の設計どおり、思うとおりに
いかないことがままあります。

例えば、舞台上の予測もしていなかった制限や、
お芝居をしているときのお客様の反応、、、
こういう'生'の醍醐味、怖さというのが舞台、演劇の面白さ
だと思います。
予めお稽古や練習にて打ち合わせしていたことが
通じない、そんなところも舞台の大きさではなかろうか、
そういうようにも感じています。

しかしながら、私たちは舞台という表現手段を通じて
何かを訴えていく以上、そういう制限や予測もしなかった出来事
に関しても柔軟に想像をし、それを通じて創造していかなければ
ならないと感じています。

決められたことだけをやるよりも
よりどころを元に自分の表現したいことを他者と共に表現する、
そういったことを基準にさまざまな作品に挑戦し、
もし、色々な障害、制限があったら、それらに柔軟に対処できるように
していくようにしていくことが大事なのだと思います。

完全さ完璧さが美とされる昨今(と私は感じています)、
未完成であったり、不完全であるもの、そして、
『生』でしか生まれ得ない美しさがあるように思えてなりません。
しかしこういったものは十分なお稽古、練習を通じてしか
起こりえないと考えています。
posted by 武藤賀洋 at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月03日

周りをよく見る

お芝居で大事なものの一つに『見る』という行為があろうかと
思います。

実際に色々なものを見るということも一つ、
そして、実際の目で見ないながらも、感じるという行為は、
非常に大事だと思っています。

こと始めたばかりの方に多いと思うのですが、
台詞を言う(読む)ことに夢中になってしまい、
見ることを疎かにしてしまっていることが多いと感じます。

  例えば、勝手知ったる、いつものお稽古場やお家で、
  目隠ししながら、何かをするというのは
  とても至難の業だと思います。

閑話休題。
練習やお稽古をしているとき、目に見えるものはもちろん、
目に見えないものを、想像をいう眼でよく見て、
自分の位置、行動(判断)する情報源を、五感をよく生かして
動作、所作を行っていくことが大事なのだと、私は考えいます。
posted by 武藤賀洋 at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月01日

似合うもの、好きなもの、できるもの

演技、お芝居の勉強をしていると、自分の好きな役というのは
とってもやりやすいと思います。
しかしながら、それが他人から見て、似合う役とは限らないのでは
ないでしょうか。

その似合う役というのは所謂'人の評価'というのが入ってきてしまいます。
やはり、お客様にご覧いただく、ショービジネスである以上、
その似合う役というのを早く自分の認識する必要が出てくると思います。

ただし、その似合う役というのは、場合によっては似合う役が複数に
なってしまうかと思いますが、その中でも熟成させていくことが
俳優さん、声優さんを目指す人にとって必要なものだと感じています。

逆に考えますと似合う役というのは好きな役とは限らないとも
いうことができると思います。

役について、
好きな役、嫌いな役、できる役、できそうな役、できた役、
似合う役、似合わない役
というのを自分自身で考えてみるのも面白いかもしれません。

その上で自分に似合う役というのを見極めて、熟成させていくことが
大事なのではないか、そう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月28日

結果として所作

物言いや動作はつまりは、役の行うことであると同時に
結果として現れてくるものだと思います。

役の作り方は様々ですが、その結果から先に作り込むか、
結果をあまり気にせずに作り込むか・・・はたまた・・・
様々な方法が考えられます。

私は(人間的にも)ちゃらんぽらんな人間ですので、
結果、すなわち、物言いや動作、所作をあまり完全に
考えずに舞台を構築します。
これが私の学ぶべきところなのだと思いますが、
こと、物言いに関して言えば、叫ぼうが泣こうが笑おうが、
特殊な言い方をしようが、気持ちの推移、雰囲気、
表情など、綜合して伝わるのではないか、そう考えています。
しかしながら物言いや言葉そのものをないがしろにしている
わけではありません。
先ほども書きました通り、気持ちの遷移を通じて、結果としての
所作、物言いだと考えていますので、その実、一番
物言いやせりふ、所作、動きを気にしているのかもしれません。
話がずれてしまいましたが、
脚本、台本を拠り所に、結果を追い求めて行く作業、
役、事柄、事件、出来事に向かい合って行く作業を通じて、
舞台上で繰り広げられる、役の仕草、物言い、動き(役者のそれではなく)
をお客様にご覧頂ければと考えて取り組んでおります。
posted by 武藤賀洋 at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月25日

テンション

先だってもテンションを張るという項目で触れましたが、私はテンションを『緊張』と理解しています。

辞書(三省堂 大辞林 )で意味を調べると、

テンション 【tension】
 1 緊張。不安。
 2 物理学で、張力(ちようりよく)。
 3 (主に若者語で)気分の盛り上がりのこと。

となっています。
釣りをよくやる人は釣り糸のテンションの具合、等という言葉でおなじみかもしれません。
事、役者さんにとって、テンションとは、「気持ちの変化をコントロールするための
緊張(状態)」だと私は考えています。
つまり、例えば、大泣きするシーン、悲しいシーンこそ、テンションを目一杯張らなければ
いけないのではないかと考えています。

ちなみに私は仕事場では「テンションを上げて」とは言いません。
「テンションを張って」と言います。
これは、舞台上、周りに目を配り、様々なことに対応できるように緊張する、
いわば、何に対しても反応できる状態にしましょう、という意味で使用しています。

緊張の状態といっても、身体が硬くなっては意味がありません。
気持ちも身体もリラックスし、同時に適度に引き締めることが必要なのだと
思います。自分自身でそのバランス感覚を身につける事も非常に大事だと
思います。

テンションを張り、色々な状況に対応できる準備ができてこそ初めて、
気持ちの変化、盛り上がりも盛り下がりも表現できるのではないか、
私はそう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月18日

どれだけ好きになれるか

以前にも役を好きになるということでご紹介しましたが、
役をつかむ基本、根本は役を好きになること
集約されると考えています。

それは、その役のよい部分も悪い部分も含めて
どれだけ好きになれるかということです。

―――配役された役を如何に表現するかは
その役のすべてを好きになり、
その役に責任を持つことだと考えています。
その中で他者との関わりを構築し、役は
作り、作られていくものだと考えています。
posted by 武藤賀洋 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

役は常に真剣に生きている

物語上に出ている登場人物は常にその世界において
'真剣'に生きていると思います。

つまり、私たちと同じように
家族を持ち、友人がいて、仕事を持っていると思います。
好きな飲み物、好きな食べ物も当然あると思います。
そして、実際の人生のようにつらいことも
悲しいことも嬉しい事も楽しいことも
当然、もっていることでしょう。

そういったことを考えてみると、
役者としての人間がたとえ、その人の行動を『悪』だと
思っていたとしても、その役は『悪いことをしている』
と思っているとは限らないと思うのです。

同時にト書きや台詞に書いていることは
必ず理由があると思います。
その理由をきちんと噛み砕いて、表現をしていいくことが
役と向かい合う、役作りの第一歩であり、
その大部分を占めるものなのではないか、
そう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月11日

冷静

昔、師事していた先生に
「役者は常にある種の冷静さを持つべきだ」
と教えをいただきました。

すなわち、
「舞台内外のあらゆる状況を見つめ、受け止め、
 それを生かすか流すか、冷静に判断できなければ
 いけない」
というのです。

つまり、
舞台上では他者(他の役やモノ)の状況を
見つめ、判断し、たとえ、打ち合わせにない動きや物言い、
制限が発生したとしても、それについて反応しなければ
ならなく、と同時に舞台外の状況、つまりお客様の
反応にも役者は気を配るべきだという教えだと
考えています。

舞台外の事情は常に持ち込まないという大原則を踏まえて、
例えば、時代劇を上演しているときに、
お客様席から携帯電話の着信音が鳴った。
これに舞台上の人間が反応(せりふ、動きが止まったり)
したら、作品は台無しになる可能性があります。
しかしながら、勧善懲悪のシーンの際に、お客様席から
拍手が起こった。この時に冷静さをもって判断し、
もし次に感動的なシーンが控えていたとしたら、
作品意図、演出意図を逸脱しないもしくは更に
構築する術をもって、(役者本人が涙するほどの)
感動的場面を作ったとしたら、
先ほどの拍手、ご声援に応えたことになるのでは
ないかという考えです。

私はやはり、役者たるもの、常に冷静に、
役としては熱くなることがあったとしても、
舞台内外を見つめて、作品を構築していくことが
仕事のひとつである、そう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月10日

動くには

お芝居の勉強をし始めた方に多いと思うのですが、
いざ、舞台上で動けない、
立ち稽古になっても、思うように身体が反応しないというのを
よく目にします。

色々な原因、要素があるかと思いますが、こと、脚本上、所謂演技上の
観点から見た時に、単にその役と向かい合っていないからだと考えます。

人間は普通生活していて、’動く目的’をもって(考えて)動いたとしても、
動きそのものを考えて動作するというのはあまりないのではないでしょうか。
例えば、ガールフレンドに花を渡す時に「かっこ良い渡し方」を考えたり、
渡すこと自体を(恥ずかしいから)ためらったりという行動の中に、
自分の、どこを動かそうとかっていう意図的なもの、考えなければならないこと
って少ないと思うのです。

ですので、無理に動く必要はないと思います。
特にお稽古の際には他の役者さんもお稽古されているわけですから、
「動けなければ動かない」「しゃべれなければしゃべらい」
ほうが良いと思っています。

動く、仕草、動作というものは、役と向かいあい、イメージが広がって来、
その台詞、ト書きの目的、そして他者との関係性、
実際に目にする他者の動きに気をつけていれば、自然と動いてしまうのだと
考えています。
普段の社会生活がそうであるように。

しかしながら、お芝居では約束段取りや制約がでてきますので、
それに柔軟に対応するためにも、
自分自身の身体のこと、他者との位置関係、動きを見極める、目と耳、
舞台の広さを的確に知る感覚などを磨いていく必要があるのだと思います。
posted by 武藤賀洋 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月09日

アンサンブル

お芝居はアンサンブルだと思います。

辞書で引くと、
アンサンブル【ensemble】
《共に、の意》
1 服飾で、ドレスとコート、上着とスカート、靴とバッグなどの材質・色調の調和のとれた組み合わせ。
2 音楽用語。小人数の合奏・合唱。また、合奏団・合唱団。演奏の調和のぐあい。

と出ています。
ここでは2の意味合いが強いと思いますが、いずれにせよ、「調和」だと考えています。
”バランス”ということができるかもしれません。

相手役とのバランス、他者とのバランス、物語とのバランス、照明とのバランス、
音楽とのバランス・・・様々なバランスがあると思います。
そのバランスを見失ってしまうと、バラバラな、―――仮令各個の要素が秀逸であっても―――
見ていてまとまりの無いものになっていってしまうと思います。

こと役者さんで言うのであれば、声の大きさや、仕草、感じ方、関係性など、
それぞれ、思うところは違ったとしても、共有する部分を明確にして、
舞台上で調和、バランスを計ることが良いと思います。
それを構築していく場がお稽古場なのだと考えています。

お芝居をする上において、アンサンブルを念頭に作品創りに取り組んでいきたいです。
posted by 武藤賀洋 at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月08日

芝居と思想と人生と

これはまるっきり私の偏見であるかと思いますが、
お芝居にはその人の考え方や思想、その時々の生活
というのが色濃く反映されると思います。
うすっぺらい考えで生活している人にはうすっぺらい
お芝居というのが不思議なことに出てきてしまう
感じがします。仮令、感動的な台詞をしゃべっていても、
そう感じてしまう時があります。
―――たとえ、それがどんな役でも―――
また、お芝居に思想、その人の考え方が多分に
あらわされている時もあります。
そういうものを見て共感したりするのかなぁ〜
と感じます。

私もうすっぺらく感じられないように、
社会人としてきちんと生活し、色々な経験をつみながら、
お芝居に滲みだせればよいな、そう考えながら
生活していこうと思います。
posted by 武藤賀洋 at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月04日

緊張とリラックス

お芝居、こと舞台においてはリラックス状態と緊張状態を
自在にコントロールできることが必要であると考えます。

緊張といっても、冷や汗をかき、喉が渇く状態ではなく、
テンションを十二分に張れる、張っておける状態であると
考えています。

この2つの状態は相反するものであるかもしれませんが、
これらを自在にコントロールできることによって、
舞台上と舞台外との境界の切り替えがきちんとできると
思います。
これらをすることで、舞台上で役を、舞台外では社会人
をきちんと切り分けることができ、また、舞台上だけでも
総合的に見て、余裕の、幅のあるお芝居ができるのでは
ないかと考えています。
リラックス状態といえども、常に転換できる準備だけは
しておきたいものです。
また、身体的にも緊張状態と緩和状態をうまく使い分けること
によって、動きが単調にならないようになるかと考えています。
posted by 武藤賀洋 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月03日

方向性と量

お芝居を作る際、ある役の意識の方向とその量というものに結構気を使います。

実際、意識というのは目に見えるものではありませんが、
実は私たちが普段、なにげなくおしゃべりしている場でも、
意識がどこに集中しているか、散漫しているかで、
その物言い、表情、視線、仕草はまったく異なってくると
考えているからです。

  ですので、未だに研究中ですが、
  役と役との関係性、間柄、シーン、場面、人数などに
  よって、どのように意識量を俳優さんにうまく伝える
  方法があればと考えています。

同時に方向性も非常に大事な要素だと思っています。
先だっても記しましたが、何も、その場にいる人間に集中するだけで
なく、様々な意識の向け先があるのだと考えています。
また、180度違う方向への意識を向けることも、実生活には
結構潜んでいるもので、そうした一方向ではない、複数方向への
意識の向け先、そして、その量についても複合して考えていくのが
大切だと思っています。
posted by 武藤賀洋 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月02日

アドリブ

正直に言うと、私はアドリブが嫌いです。
ついつい、発してしまった「言葉」はアドリブとは考えてはいないのですが、
「ここをこうしてやろう」というようなアドリブは実は作品の中に
入る余地がないと考えるからです。
「ここをこうしてやろう」というのは役者の思いであって、
役の思いでないからです。
役が”つい”やってしまったことであるのであれば、それは作品にとけ込むと
思うのですが、そうでないと、浮いてしまったり、アンサンブルを壊しかねない
と思うからです。
同時に自分が面白いと思ってやっても、その実、相手役の芝居をきってしまいか
ねないものであるからです。

また、アドリブが受けたからといって、そのアドリブの受けた、根本や原因が
わからなければ、次からやるのは控えるべきだと思います。
なぜなら、そこに段取りが発生してしまい、お芝居ではなくなってしまうと
考えているからです。

しかし、すべてのアドリブが嫌いというわけではなく、
上記に記した通り、意味のある、「つい」出てしまった、
役者本人ですら、やったことを忘れるようなものであれば、
それは全く持って素晴しいものだと思っています。
posted by 武藤賀洋 at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月30日

根本は愛

私はお芝居において究極に表現したいことは
人間の愛」なのではないかと考えている。

愛の形にも色々あると思う。
 親子愛
 夫婦愛
 恋愛
 友情
 兄弟愛・・・
などなど。

どんな物語にもどんな舞台にも人間の血の通った愛がなければ、
人の心は動かないと思うし、
舞台を作るスタッフ、キャストの全てが見せかけだけの愛しか
知らないのであれば、それはやはり、うすっぺらいものに
なってしまう気がしてならい。
愛には色々な形があるからこそ、人の裏切りや信頼、つながり
といった部分を表すことによって、物語がより深くなるのではないだろうか。
また、どんな物語でも、その登場人物の関係性を突き詰めていくことで、
愛情の表現というものに挑戦できるのだと考えている。
私も人として、これからもより多くを学び、より深くの愛を感じ、発し、
薄くない舞台制作に取り組んでいきたいと考えている。
posted by 武藤賀洋 at 03:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現論【ムトウ版】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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