★いつも応援、ありがとうございます!★
にほんブログ村 演劇ブログへにほんブログ村 演劇ブログ 演出家へにほんブログ村 アニメブログ 声優へ人気blogランキングへ

2011年12月16日

無駄なことなど何もない!

いやぁ・・・
この時期になると痛切に思うのですが…
1年って早いな、と・・・
来週はクリスマスで、その次の週は・・・もう大晦日という…

はやい、早すぎます〜


さてさて、今日は「無駄なことなど何もない」ってタイトルのお話です。


講座やレッスンで”自分にあわないな”という内容でも、実はそれも全て自分の糧になるのです。
はたまた、「こんなこと何も役に立たないのに」と思うことでも実はそれも糧になるのです。

一見、無駄に思えることも、自分の感じ方・捉え方で無駄にならず、必ず役に立つのです!!

例えば、私は役者時代、所謂、二枚目の役が苦手でした。
これを敬遠したり、避けてたりすると…例え、公演や仕事で二枚目の役がこなくとも…
いつまで経っても二枚目をやることは出来ません。
それどころか、自分にこの役が回ることがないな、という先入観から練習もしなければ、せっかくの役への経験がなくなってしまいます。

私は練習やレッスンで色々な役を行ったので、どんな役が苦手でどんな役が得意で…どんな役がお客様が喜んでいただけれるか、どんな役が研究不足かというような情報が蓄積されてきました。
自分の好き嫌いでなく、自分の得手不得手を押さえておく事は非常に大事だと考えます。

また、これだけなく、お芝居以外の出来事も無駄なことなど一つもないのです。
人間関係や友達関係、恋愛、学び、仕事、バイト…何一つ無駄なことなどないのです。
何故ならば、お芝居は人間の営みを表現するばなのですから…
例え、人間以外の物語でも、その物語について想像する基礎は私達の生活の中で培われていくものだと思います。

ただ、辛いから、とか嫌いだからというように敬遠するのではなく、
その体験できる事象の中から、何かを感じる力−−−感性−−−をフルに使って、自分の経験を増やし、感性を更に磨く事がお芝居を上達させる第1歩だと私は考えています。

生きていて、何も無駄なことはない、そう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月21日

なきゃないでやる

皆さん、こんばんは!
ついこないだも宣伝いたしましたが…


普段はここで演出しております♪
11月10日から新宿シアターミラクルにて上演されます♪
是非、皆様、お運びください☆

さて、今日は『なきゃないでやる』ということをテーマに書いていきたいと思います。

このブログでも何度となく書いてきましたが、お芝居をする上で”想像”することは重要であると思います。
講座などで勉強をはじめたばかりの方からこんな話を聞いたことがあります。
「○○がないからできません」

うーん。
これ、私には「想像力が貧困なのでできません」と言っているように聞こえるのです…

衣装や小道具、照明や音響・・・エトセトラエトセトラ・・・
これらのものはお芝居をするのに大事なものではありますが、それがないとできないというのはちょっと違うと思うのです。
もちろんこれらは想像力を高めるのに有効なものではあります。ありますが、これらがないとできないというは本筋から外れてしまうように思うのです。

また、衣装や小道具、音響や照明が急に変わることがあるわけです。
こうした時、これらのものに頼りすぎていたら対応できないということになってしまう気がするのです。
もちろん、変更には柔軟に対応してこその役者さんだと思います。

ではお稽古やレッスンなどでこれらがない時はどうすればいいか?!
それはもう、イメージを最大限に発揮してお芝居する以外にないのです。
今は恵まれた環境が多く、色々なものが準備されますが、それらに頼ることなく、イメージをまず大事にして役作りを行なっていくことが肝要だと思います。

衣装や道具、照明や音響はあくまで物語を具現化するための道具であって、
その道具に支配された役ではどうしたって真の心は表現できないように思います。
もちろん、その道具があるからこその力、表現も生まれることは言うまでもありませんが、
それらがなければ、できませんというのであれば、役者は向いていないとも思うのです。

是非、イメージを最大限にして五感を働かせ、ないならないなりの環境を利用して、最大限のお芝居、レッスン、お稽古を行なっていくことが肝要だと私は考えております。
posted by 武藤賀洋 at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月07日

続けるパワーとパワーを出し続けること

10月も早いもので1週間経過しました♪
秋深まる中…皆さんはどんな秋にされたいですか?!
読書の秋♪
 芸術の秋♪
  スポーツの秋♪
・・・私は専ら、食欲の秋です〜

さてさて、今日の話題ですが…
『続けるパワーとパワーを出し続けること』
というお話をしようと思います。

講座の生徒さんなどに質問を受けることがあります。
それは
「お芝居する中で一番大切なことはなんですか?」
と。

もちろん技術的なことなどなど大切で大変なことはたくさんありますが…
私はそれよりも気持ちの面が一番大切だと感じています。
それは…
細かいことでも続けていく気持ち、努力、思い…
そして、ダラダラと続けるのではなく、思い切りの力を常に出し続けていくこと
だと思っています。

これは簡単にできるようで実はそうでもないのです。

講座やワークショップで初めて会う生徒さんにはよく言うことがあります。
「今の、お芝居をはじめた気持ちや動機を忘れないで」

これは、お芝居(に限ったことではないですが)を続けていくとどうしたって壁にあたります。
壁にあたらなければ、成長はあまり見込めないからです。
その壁にぶつかった時、乗り越えるのか、破壊するのかは別にして、
”なんとかしなければいけない”
わけです。
そんな時、『続けていく力』と『力を出し続ける』思いが必要になってくるわけです。
’壁’ですから、今までの自分の力じゃなんともいかないわけです。
壁にぶつかった時に、『はじめた頃の気持ち』を思い出すのが効果的だとも考えています。
どうして、自分はお芝居をはじめたのか、どうなりたいのか。
これをしっかりと自分自身で確認すると、”力”がでてくると思うのです。

私はこの『続けていく力』と『力を出し続ける』思いというのが、お芝居をする上でもっとも大切だと思っています。この二つがあれば、技術的なことはついてくる、そう考えています。

続けるには…出し続けていくには…好きこそ物の上手なれ、というように、心からお芝居を好きになる事が大事だとも考えています。
posted by 武藤賀洋 at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

やって♪ うん♪ こうして♪ うん♪

9月ももう半ばだというのに蝉がないております〜
去年も秋がないほど、夏の暑さが残りましたが…
そろそろ涼しくなってもいいのではないかな〜と思います!

さてさて、今日のテーマは
「素直さとサービス精神」
についてです。

私がかつて役者の勉強をしていた時のレッスンの一風景です。
アクセントのお稽古で私は標準語のアクセントをクラスの最後の方まで習得できませんでした。
その最後のチャンスの時、課題はたしか、「犬がワンと鳴く」というような文だったと思います。
この’ワン’のアクセントに毎回詰まっていたのですが…
お調子にのって、犬の鳴きまねをしたのです。もちろん、大目玉を覚悟で。
そうしたら、先生、「アクセントはダメだけれども、犬に免じて合格にしてやろう」とおっしゃって頂いたのです。
ずらずら書きましたが、この後の先生の言葉は今でも忘れられません。
「我々の仕事は人に喜んでもらう職業だ。さっきの武藤のはダメな例だが、サービス精神だけはいい。
 我々はサービスをして、人に喜んでもらって、人様からお金を頂戴するのだ」
と。
ずっしり来ました。それまでは上手くやってやろう、とか、正解ばかりを求めていましたが…
目的、根本は”人に喜んでもらう”種の職業なわけです。
どのお仕事でも人に喜んでもらう事は目的の一つであり、サービス精神は必要だと思います。
こと、お芝居の正解においてはサービス精神がなくなっては成り立たないと実感した瞬間でした。

さて、もう一つ。素直さ。
これはこのブログでも何回も出てくるキーワードですが…
私の養成所時代のお話をもう一つ。
上記のアクセントがなかなか習得できない時、先生がおっしゃいました。
「横浜生まれは自分を都会人と思っているから、素直じゃないんだよな〜」
これもまた、ズシリと来ました。
そうです、その時まで、素直さのかけらというか・・・「オレこそ合っている」としか思っていなかったわけです。
また、違う先生にもこんなお話を受けました。
「役者に必要なのは技術よりもまずは素直さ。ディレクターや演出の言うことを即できなければ、仕事にならないからね。自分の思いもあるだろうが、それは二の次、三の次。まずは言われた事ができなければ、自分の考え思いなんか到底だせるわけがない」と。
これもやはり心に響きました。上手くやればいいとか自分をかっこよく見せるにはどうしたらいいか?なんてことを常に考えていた私には本当に重く響きました。
そうなんですよね…まずは作品の役と真剣に向かい合わなければいけないことに気付きました。

演出の勉強を重ねると更に先生方のおしゃっていたことが身にしみて理解できてきました。

このブログをご覧のお芝居を勉強されている方々、是非、サービス精神と素直さ、ご自分で発揮できているか見直してみるのもいいかもしれません。すると意外と色々なモノが別の角度から見えてくることもあるかもしれません。
posted by 武藤賀洋 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月26日

イメージを広げる。具現化するには経験と鍛錬が必要♪

いや〜
今日都内でお仕事していますと…建物の中にまで轟音が…
すっごい雨でした…
山手線も水浸しになったり池袋駅などは雨漏りでホームにいきつくまで傘が必要だったとか…
たまの雨もいいですが…豪雨はご勘弁いただきたいと思います。
早く秋晴れ爽やかな芸術の秋になってほしいものです!

さてさて、今日のテーマですが、『経験と鍛錬』についてです。
このブログでも何回も書いております通り、お芝居をするのに一番大事なのは詳細なイメージであり、そのイメージする力をつけること、広げることは必要不可欠だと考えております。

そして、そのイメージを創造し具現化するには普段の技の練習や鍛錬、経験が必要だとも思っているのです。

例えば、歌を歌いたいと思ったらカラオケなどで今は簡単に歌を歌うことができます。
しかし、上手く歌いたいと思ったら練習や人のアドバイス、先生のレッスンなどを受けなければいけません。同時にその習ったことアドバイスを反復し自分のものとするまではおいそれは上達しませんし、上手くはなっていかないのではないでしょうか。


お芝居もそうです。例えレッスンで腹式呼吸の方法を習ったとしてもそれだけではダメです。自分で何度も何度も反復し身に付くまでやらなければいけません。でなければただ習っただけなのです。習うとできた気になりますし、経験した気になってしまいますが、自分で反復し、できる部分できない部分を明確にし次の練習につなげていかなければ何の意味も無いのです。


レッスンやお稽古、練習や自分で経験した事の中で体験した『技』や『技術』を何度も何度も繰り返し練習することで自分のものとなり、それがやがて自分の中で育つのはまずは時間のかかることでしょう。しかしながら、その時間や手間を惜しむ事をすれば、せっかく体験した事が無駄になってしまいます。

是非ともイメージを具現化するためにも普段の鍛錬や練習は欠かさず常に磨いていることが必要だと私は考えております。
posted by 武藤賀洋 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月05日

見て盗み、やって覚える

8月です!
学生さんは夏休みの方が多いことと思います。
この夏にどうするかによって進路・進学などが左右されることが多いようです。
有意義な実り多き夏でありますように!

さて今日は『見て盗み、やって覚える』というテーマで書きたいと思います。

私が講座を担当している生徒さんだったり、お芝居を始められた方から聞くことで
「おや?」
と思うことがあります。

それは…
「それは先生に教えてもらわかなったから」
とか
「ここは演出の先生が言っていなかったので考えていない」
とか…
こういうことを耳にする時です。

どんな仕事でもそうだと思いますが、『これで全て』ということはありません。
もちろん、学校や養成所では限られた時間、練られたカリキュラムの中で制限いっぱいの内容であることは間違いないと思いますが…それでも”全て”ではないのです。

どんな仕事でも先生や先輩のやっていることを見て盗み、真似て…
やってみて、そしてそれを感じ、自分で手放しで出来た時に初めて理解したことになると思います。

この”見て盗む”というのは本当に学ぶ姿勢がないとできないことだと思います。
真摯な姿勢はもちろん、レッスンやお稽古中に全ての意識神経を――― 一瞬だけでも ―――集中させて、先輩や同期、先生を見て、自分とどこが違うか感じ考え、とにかく真似てみる。
なかなか簡単なようで難しい事です。
見る、認識する、真似る。言葉で書くと簡単なようですが、そうではないのです。
ただ見るだけではなく、仕草や筋肉の動き、喋り方などなど自分と違うところをよく見る。
その違いをどう違うのか認識する。
そして、それを真似てみる。
…まずこの”よく見る”というところを意識すると”盗む”につながると思います。

見て盗み、やって覚える。
どんな仕事でも必要な姿勢だと思いますが、ことお芝居に関しては必要不可欠な行動だと私は考えています。
posted by 武藤賀洋 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月29日

絶望の縁に立ったとしても…

夏まっさかり!といいますか・・・暑いですね〜
一時は夏はどこにいった?なんてことも言っておりましたが、暑いです。

過日、実施しましたワークショップについては
こちら
を御覧ください〜


さてさて、今日の記事は…
「失敗」
について書いてみたいと思います。

結論から言えば失敗しなければお芝居は上手くなりませんし、
失敗したからこそ生まれるものもあると思うのです。

昨今、講座などで若い方と一緒に研究を進めていると、
”私(先生)に褒められる事を目標”にしていたり、
”私(先生)に叱られないように無難にまとめたり”するような傾向が多く見受けれます。

・・・。
これでは、何も変わりませんし、お芝居はうまくならないと思います。

失敗するからこそ得られる情報もあるのです。
仮令その失敗が絶望の縁に突き落とされるくらいの失敗であろうとも、
お芝居に真摯に向かっていたのならば必ずその出来事は種となり、花が咲き、実となることと思います。

お稽古やレッスンでは大いに失敗したほうが良いと思います。
でなければ、もともと無い答えを永遠に探し求め、迷路にはまってしまう可能性もあります。
レッスンやお稽古で失敗し、何かを学ぶからこそ、
そこから気付きが生まれ、色々と自分の身になっていくのだと思います。
失敗を恐れたらそこで上達も進歩も止まってしまいます。

またこれは別の話で書く時がくると思いますが、
叱られているうちが花、ということも昔からよく言われます。
是非、お芝居に真摯に向き合い、色々叱られながらお芝居の研鑽を積むのが上達の道だと考えています。
posted by 武藤賀洋 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月20日

正解と不正解

夜風が気持ち良い5月の夜ですね〜
GWも過ぎて、だんだん日中の気温が高くなってきて、夏に近づくようです。

さて、今日のお話は「正解と不正解」というお話です。

この武藤賀洋・演出ノートblogの最初の方の記事でも書いております通り、私は『芸術に答えはない』と考えております。

これはすべてが正解であり、すべてが不正解でもあるというふうに捉えることもできるかと思います。

例えば、レッスンなので複数の先生が違う事を言っていたとします。
どちらが正しいのでしょうか…
きっとどちらも正解なのでしょう、正しいのでしょう。

芸術にはマニュアルや正解、正しいやり方などは存在しません。
確かにセオリー的なものはありますが、それが全て正しいとは限らないのです。

”これだけやれば良い!”というものも残念ながら存在しません。
そういうものがあったら、皆役者になれてしまいますよね。(…この言い方もある種の語弊を含んでおりますが…)

しかしながら、『自分にとっての』正解や正しいやり方が存在するのも事実です。
滑舌が苦手な人は滑舌練習を人の4倍はやるのが常だと思いますし、読解力がない人は人の5倍本を読むのもいいでしょう。しかし、この自分にとっての正しいやり方というのが実はあまり効果が発揮されない場合もあるのです。

何故か。

それは自分にとって正しくないか、やり方を間違っているか、成果を考えていないでやっているかなのだと思います。

幸いな事にこのお芝居の世界には色々な先輩方、先生方が開拓された様々な方法が存在します。それらの方法から自分にあった、より成果のある方法を見つけていくことも大切な役者修行のひとつと考えます。

ただし…ここでひとつ頭を柔らかくしなければなりません。

例えば、レッスンなどで、複数の先生がそれぞれ違った方法を教えてくれたとします。
その中から自分にあった方法を見つけたり、身につけたりするわけですが…
最初にその先生方からお話を聞いて、感覚的に合う、合わないで判断することなど言語道断であり、浅はかであり、論外である、ということを付記しておきたいと思います。
何故ならば、やりもしないで成果があるかどうか、自分に合うか合わないかなどわかるはずもないからです。教えを頂いたら、何度も何度もそのやり方で試してみる。そうした訓練の中から自ずと自分にあったやり方、自分なりの正解がみつかるものだ、私はそう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月13日

雑念を振り払う

皆様、こんばんは!
今日は非常に暑かったですね〜〜
なんでも関東地方は28℃くらいまで上がったとか…
今日はさすがに半袖で過ごしました。

さてさて、今日のお話は『雑念を振り払う』ということについて書きたいと思います。

レッスンを始めたばかりの頃はどうしても気になってしまうものがあると思います。
「あ、これをやったら恥ずかしいな」
とか
「こうしたら、皆に笑われるかな…」
とか
「こんな考えだったらおかしいだろうか…」
などなど…

こういう所謂雑念をもってレッスンや練習、お稽古などを行っているとちっとも上達しません。
何故ならば、そういうものがあると身体が悪いほうに緊張し、自分が想像している以上に身体が(おしゃべりも含めて)動かなくなるものです。

また、雑念というのは、知らず知らずのうちに自分の心の中に入り込んできてしまうもので、完全に消すのは難しいです。

しかし、ちょっと考えてみてください。
皆さんの好きなところに行ったとします。そこで大いに遊ぶ、と仮定しましょう。
例えば…ディズニーシーに行って遊ぶ時のことを考えます。
翌日の授業やレッスンのことだったり、宿題の事だったり、仕事の事だったり…
他に気になることがあると心から楽しめないのではないでしょうか。
こういった気になることをとりあえずは忘れて、これでもか!というくらいに思いっきり遊んでしまう!そうすると、目の前の楽しいことだけに集中できますし、帰る時ももう、ぐったりというくらいになると思います。
また同時に遊びに行く人についてもイメージしてみましょう。気の許せる人同士であれば、がはは!と笑いながら、まったくもう!というくらいに楽しめると思います。しかしながら、初デートだったりすると…相手の事が気にかかりなかなか「遊び」に夢中になれません。(この場合、他の事に夢中にはなっていることが往々にしてあるようですが・・・)

以上のことから、お芝居に話を戻すと、課題や作品以外の事を考えていると所謂集中力を失い、進歩や上達が遅くなってしまいます。レッスンや練習、お稽古の場はチャレンジする場所です。失敗をしても良いのです。(私の考えではどれが失敗だかわかりませんが…それはまた別の機会に)思い切り、作品に向かい合い、上記で触れたように気になることをすべてかなぐり捨てて、目の前の役に、課題に、作品に集中する。すると…やり終わった後に疲れ果てぐったりすることでしょう。

こうすることで自分のお芝居の幅が広がり、進歩の幅が大きくなっていく気がします。
また、別の機会に述べますが、ある種の人の目を気にする事は大事なのですが…お芝居のレッスン、練習、お稽古に関しては雑念を振り払い、思い切り目の前の課題にチャレンジすることが肝要だと私は考えています。
posted by 武藤賀洋 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月04日

自分の殻に閉じこもらずに、自分で決めた限界にしばられずに〜

3月にはいったというのに、とっても寒い夜です〜〜
まだまだ炬燵から離れる事はできません・・・
こういう季節の変わり目は体調を崩しがちですが・・・皆様、是非、ご自愛ください!


さて、今日は「リミッターを外す」ということについて書いてみたいと思います。
特にお稽古などではそうだと思うのですが、自分自身で制限をつけてはいけないと思います。

人はしらずしらずのうちに自分で限界を決めて、
しらずしらずのうちに制限してしまい、
しらずしらずのうちにその制限を超えることをしないようになってしまいます。


結論から言えば
常に120%、200%、2000%と元気と気持ちの高揚』をもって臨むことが良いと考えています。
思い切りやることが肝要だと思っています。


自分自身で「こんな感じでいいかな〜」という思いでやっていても周りで見ている人には物足りない時がままあります。
ちょっとやり過ぎかな?と思うくらい・・・思い切り気持ちを出し切らないと見ている人に気持ちの移り変わり、役の云いたい事は伝わらないと思います。

話はちょっと逸れますが、、、
アルバイトなどを無我夢中で一生懸命するとどっと、心も身体も疲れます。
お芝居も仕事として捉えるのであれば、お芝居(たとえお稽古でも練習でも)が終わった後は、質は違うかもしれませんが、心身ともにパワーを使い果たし疲れなければ嘘だと思いますし、そうでなければお金などとうてい頂けまません。

話はもとに戻り、この制限をもうけず、思い切りやることをよく私はこのことを「リミッターをはずす」と云いますが、気持ちも相手役への思いも、役に関する全て、自分自身の制限を外して、思い切りやってみると、声も動きも表情も次第に大きく、より多くの人に伝わるお芝居になると実感しております。

最初から制限を自分自身でもうけてしまうとなかなか思い切りやることは難しくなってきてしまいます。
ですので、その制限をとっぱらって、”リミッターを外して”思い切り、やることで、その思い切り度といいましょうか、お芝居の幅が2倍にも8倍にも・・・恥ずかしがらず、リミッターを外してやり続けると、しらずしらずのうちに幅が何十倍にも広がっているはずです!

制限の壁、、、それは自分自身でもうけた、「このくらいでいいかな?」という気持ちや、恥ずかしい・・・といったたぐいの気持ちが邪魔する事が多いようです。お稽古や練習ではじめからできる必要などこれっぽっちもありません。レッスンの場やお稽古場、練習の場は色々試す場ですので、せっかく試すのですから、余計な殻、制限を設けていたら・・・成果も上がらなくなってしまいます。

是非、お稽古や練習の際は制限を設けず、思い切り、リミッターを外してチャレンジしてみてください!
そして、仕事してやりきった、’心地良い疲労感’を練習やお稽古の度に感じる事が第一歩だと思います。
posted by 武藤賀洋 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月04日

こやし

いやぁ、この時期は仕事も建て込みますし、編集やらなんやらもやってみたり・・・
教え子達や養成所関係者の方々から卒業公演のご案内を頂いたりするのですが・・・

時間が足りない。。。。正確に言えば、身体がもう一つ欲しいです。

先日ツイッターにてつぶやきましたが、、、どなたか分身の術をご教授いただけないしょうか。
もしくはコピーロボットを貸していただける方・・・


さてさて、今日は「こやし」について書いてみたいと思います。
こやしとは肥料の事です。
辞書でしらべると、


こやし【肥やし】
1 肥料。こえ。
2 成長の糧(かて)となるもの。「遊びを芸の―とする」


となっています。
お芝居を学ぶ上において、世の中で起きている、身の回りにあること全て肥やしとなると考えています。
何故ならば、世の中にあるものすべて何かの理由によって存在しているからです。

お芝居をやり続け慣れてしまってくると、色々なものに感動しなくなったり、
それどころか後輩や新人さんから学ぶ事を疎かにしてしまうことがあります。
こうなるともう、見ていられません。
何事にも成長の糧になるものが潜んでいます。それを認められるかどうかは自分の感じ方次第だと思います。
是非、様々な出来事、事象を糧にして行きたいものです。

posted by 武藤賀洋 at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月28日

出る側と見る側

いやぁ〜この時期になるとインフルエンザやら、風邪やら・・・
早くも花粉なんてキーワードも聞こえてきますね。。。
実は私、風邪をひきまして、、、いやぁ〜面目ない。
こじらせないようにしております。

さて、さて、今日は『見る側と出る側』ということを考えてみました。

テレビ一つとっても大きく分けて出る人と見る人が居る訳です。
お芝居を仕事にしようと思ったら、もちろん、出る人にならなければいけないわけですが・・・

これが勉強を始めた時はなかなか難しいと思うのです。

『出る側とは言い訳できないし、常にサービスを提供し続けなければならない』と考えます。
つまり、テレビにしろ、舞台にしろ、ラジオにしろ、ドラマCDなどの媒体などなど・・・
出る以上、言い訳はお客様には言えないわけです。
どういうことかと言えば、例えば、あなたが作品に声の出演する機会があり、その作品が発売されたとします。
しばらく立つとその作品の事がインターネットで話題になったとします。
「いやぁ〜メインキャラは良いんだけれども、このキャラ(あなたが演じた役)が作品をぶちこわしているよね。」
などと感想をかかれたとしても、それを活かすことはしても、それに対して言い訳したり、言い返したり、凹んだりなんてできないわけです。
いや、人間ですから、凹みもするでしょうし、嫌な気分になるのは当然です。
その日の体調が悪かったのかもしれません。たまたま、あなたのお芝居にあわないキャラクターだったのかもしれません。はたまた、演出やキャスティングが良くなかったのかもしれません。
色々あれど、この感想、意見に対しては、けっして言い訳ができないのです。
何故ならば、仕事だからなのです。これでお金をお客様から頂戴しているわけですから、言い訳ができないのです。
同時に止める事も許されません。他の出演者やスタッフが居る訳ですから、一人の私情や理由で収録やお稽古を中止するわけにはいかないのです。
なので、いくら批判されても、批評されても、また褒められても・・・
それは我々を育ててくれるご意見なわけですから、どんなご意見にも言い訳はできないのです。


反対に”見る側”はどちらかというと気が楽かもしれません。
つまらなければ、見なきゃ(聞かなきゃ)いいだけのことですから。
テレビで例えるならば、面白い番組がやっていなければ、チャンネルを変えれば済む話です。
ですが、出る側はそうは行かない訳です。

出る側の人間になるということは、とてつもなくストレスになることもあります。
しかし、それを乗り越えて、常にサービス精神を発揮して、お客様に色々なモノを届ける気概や気持ちが必要なのだと私は考えています。
posted by 武藤賀洋 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

唐突ですが、今回は『愛』ということについて触れてみたいと思います。

私は作品に取り組む際や、学校の講座などでごくごく最初のほうにこういうことを言います。
『僕の作品のテーマ、究極は”愛”だと考えています』と。

愛って、とても難しいと思います。

言葉では一字だけですし、愛という言葉があらわすであろうものは多々あります。
例えば、「親子の愛」、「子弟の愛」、「師弟の愛」、「恋人同士の愛」、「兄弟愛」などなど・・・
数限りないものですし、世の中にはこの”愛”というものを歌ったもの、あらわしたものが多数出回っていると思います。

私が人間として生きていて、「愛」ほど単純で難しいものはない、と感じる事がままあります。

「愛」だ、なんて書いたり考えたりすると、恥ずかしかったり、面倒だったり、、、はたまた、重い、、、と感じてしまいます。

しかし、お芝居をする上において(人間関係でもそうですが・・・)人々をつなぐ根本は『愛』という感情であり、
思いなどではないか、と私は考えています。

登場人物同士が、たとえケンカをしている間柄でも、その背景には何か理由があり、そこには必ず、双方にして、
必然とも言えるべき理由が存在するわけです。(でなければ、薄い物語になってしまう気がします。)
利己愛かもしれませんし、利他愛かもしれません。

そうした中で、登場人物同士の(たとえ物語上、絡まなくても)関係性を考えて行く際に、『愛』というものは非常に重要なキーワードであると同時に、この『愛』ということを根本に考える事によって、物語が一つも二つも違って見えてくるかもしれません。
そうすることによって、役作りのヒントになる部分や、新しい役についての気付きが発見できるかもしれません。

最初にも書きましたが、私が作品に取り組む際、究極には『愛』ということがあらわすことができればいいな、と思っています。
posted by 武藤賀洋 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月10日

だが我々は愛のため〜

以前にも書きましたが、「お稽古は自分のためにあるのではなく、他人のためにある」と私は思っております。
これは練習とお稽古は別という考えがあるからなのですが・・・

簡単に言えば練習は自分でする自分の為の物。段取りを確認したり嫌ってほど繰り返したり・・・
お稽古は演出を交えて、作品を作って行く作業だと考えています。
中には練習で満足してしまって、いざお稽古の時に変われない、という本末転倒な事が起こったりしますが・・・

さて今日は、心構えというか「人のためにやる」ということを考えてみました。

例えば、アルバイトをするのは何の為でしょう。
お金がほしいから?生活のため?何かが欲しいため?
それらすべてだと思います。
しかし、これが会社員だったりしたら若干違ってくると思います。
仕事に対してや会社や組織に対してのある種の責任というモノができてくる訳です。

お芝居をするのは何の為でしょうか?
自分が有名になりたいから?お芝居をしていると楽しいから?自分が目立ちたいから?
どれも正解だと思います。
しかし、仕事でお芝居をするのだとしたら、これらに
作品の為やスタッフの為、役の為、共演者の為、ひいては(劇団などの)組織の為という自分の為以外の要素が入ってくると思うのです。
(また、お客様へ向けてという要素ももちろん入りますがこれはちょっと今回のお話とずれてきますのでまたいずれ・・・)

もっと言うと・・・
例えば、皆さんがファーストフードのお店でアルバイトしていると仮定します。
これは単純には、ファーストフードのお店で働いた結果は多かれ少なかれファーストフードのお店の為になっているわけです。
だから、時給と言う対価がもらえる訳です。
自分の目的が「お金を稼ぎたい」であったとしてもそれとは別のところでお店の役にたっているわけであり、知らず知らずのうちに「お店」という他者の為に働いてしまっている訳です。

お芝居でも仕事をする以上、同じ事が言えます。
自分の目的がなんであれ、組織や作品、他の人の為に動いている訳です。

これが、自分の目的ばかりを優先して、他者という要素を無くしてしまうと、次の仕事が来ません。
つまり、アルバイトでも何でも、同じ実力があれば、お店の為や組織の為に進んで仕事をする人は長く続けられ、知らず知らずに自己主張ばかりしてしまう人はどんどん場を失って行ってしまうと思うのです。

これは、偉い人でも同じで、会社の社長さんでも、自分の都合ばかりを優先していては、お金ばかりか自分の仕事自体を失うこともあり得るかもしれません。

他者の為に仕事をするこということはある時は本当につらいかもしれません。
しかしながら、そうすることで対価を得、ひいては自分の評価もあがる事を忘れてはいけないと思います。

プロであれば他人の為に仕事ができる、私はこう考えています。
posted by 武藤賀洋 at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月03日

遊びすぎるほど遊ぶ☆

先日、劇団新和座で行われるイベント投票祭
リハーサルが本番の会場である、保谷こもれびホールで行われました

いやぁ〜各チーム、本公演では見せない側面が多々あって面白いですね〜〜
私としては、各チームの必殺技や弱点部分の解析をしておりましたが、いやぁ〜どこのチームも思い切りやっていて、なかなかどうして強敵です。
今回は私も浅戸あきらとして出演しますが、、、若いパワーにはまだまだ負けませんよ〜
是非、ご期待ください☆


さてさて、今日の記事は『たくさん遊ぼう!』という事なのですが・・・
前提として、[良いお芝居をするために]「たくさん遊ぼう!」と言った方が良いかもしれません。


このブログをご覧の方の中で学校や養成所に通われていたり、これから通おうと考えていらっしゃる方、新たにお芝居を始めようとかんがえている方がいらっしゃると思います。

厳しい学校や養成所では修行中は『遊ぶなんて持ってほか!』とおっしゃるところもあります。
私としてはこれは大賛成です!!!

へ?!
言っている事違うじゃねーか!
と思われるかもしれません。

僕の考えをはっきり書けば、
『役者を志す人で'切り替え'ができなかったり、'遊ぶだけ'の人は遊んでも無駄』
と思っているのです。


お芝居に取り組みはじめると、やることが沢山あって遊ぶ暇がなかったりします。発声練習に滑舌練習、毎日(毎週)のお稽古に自分自身の練習、台本を読んだり、役作りをしたり・・・はたまたバイトを20101120_y.jpgこなさなきゃ行けない時もあるでしょう。物理的に見ても遊びに行く時間がないのです。だって、ライバルは遊んでいる間にも練習をしつつ、次のお稽古に向けて一歩も二歩も進んでいるのですから・・・

反面、遊ぶ事の効果もやはりあるのです。
ここで大事なのが”遊んで終わり。”じゃ駄目なんですが・・・。

役者は感動を与える、人が相手の職業ですから、心に余裕がなければいけません。心の余裕はどこから生まれるか。それは人それぞれあると思います。彼や彼女と一緒に居る時だったり、ゲームをしたりする時だったり、どこかに出かける時だったり・・・反対に余裕が生まれないのは日々の生活に追われてしまって・・・練習やお稽古さえ義務に感じてしまう場合は、心の余裕どころか、反対に心が狭まって視野狭窄に陥ります。

そこで思い切り遊ぶ事で心に栄養を与えてみる。
映画を観に行くのも良いでしょう。
ディズニーリゾートに行って、無茶苦茶遊ぶのもいいのでしょう。
美術館に行って、画を見るのもいいでしょう。
舞台を観に行くのももちろんいいでしょう。
水族館に行って、イルカにさわるのも良いでしょう!!
深夜にあてもなくドライブするのも良いでしょう☆☆☆


ただし!
ただしですよ?!
ここで切り替えがうまくできないといけないわけです。
役者としての切り替え。
ただ、楽しかった・・・また行きたい。
しか思わない人は遊ばない方が良いでしょう。
もの凄く、極端な言い方ですが、遊んだ結果というか成果、収穫をお芝居に反映させることを考えたり、遊びに行った先々で様々に感じた事をお芝居に活かす事を考えなければ、役者として遊びに行く意味が無いと思うのです。

「生」のモノ、舞台や遊園地、美術館などいった、生のモノにふれあい、切り替えをうまくして遊ぶ事が役者・表現者としての感性を高めると考えています。遊びにだけおぼれてしまって、練習や稽古が疎かになるなどは論外ですが、趣味や遊びを通じて、自分の表現が広げていくことをして、心の余裕を持つ事が役者にとって大事なことではないでしょうか。ですので、是非、気持ちの切り替え、時間の切り替え、場面の切り替えをうまくして、眠る時間を削っても、よく遊び、よく練習し、よくお稽古をし、感性を高めて行く事が必要だと私は考えています。
ラベル:遊び 感性 余裕
posted by 武藤賀洋 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月26日

自分の思う事、他人の思う事

自分が良いと思った事やイヤだなと思う事って人に伝えたくなる時がありますよね。

美しいと思った事。
楽しいと思った事。
嬉しいと思った事。
イヤだなと思った事。
このやり方すげー!と思った事。
このやり方でできない事ができた!と思った事。
感動した事。
心が揺さぶられた事・・・


でも、これらは、自分が感じたものであって、
伝える相手ーーー他人ーーーには本当に良いものなのでしょうか。
不明な時があります。

例えば、お芝居のお稽古方法でも練習方法でも、自分にあったやり方でも人にあっているとは限りませんし、
他人に教えてもらったやり方が自分にあっているとは限りません。
やり方はーーー無論、このブログの方法も、他の方法もーーー様々、千差万別、無数にたくさんあります。

芸術にはやり方、表現の仕方も千差万別。どれが良い!というものはありません。
自分自身で自分にあったやり方を見つけ、作っていく事が重要だと思います。
学校や養成所で教えてもらう方法は何年も実績をかけて作られて来ています。
だからこそ、これをマスターし、更に自分のやり方を何年もかけて構築していく必要があるのです。
(学校や養成所で教えてもらう方法をやりもせずに、
 またはちょっとやって「合わないなぁ」と思うことはそれはそれで良いのですが、
 やらなくなるのは論外です。)

ちょっと強引な話になりますが、「軍服を自分の身体に合わせる」という言葉もあり、
やり方に合わせて、自分の思想や思考を変えて行くのも一つの方法です。

また、重要なのは、方法は常に進化しているということです。
ですから、様々な方面から学ばなければなりません。ある種の拠り所、お手本があったとしても、マニュアルがあったとしても、
そこに練習やお稽古の「目的」がなければ、まったくもってそれらは意味をなさないと思います。

私も実は生徒さんからたくさんの影響を受けていたりしています。
先生師匠方、諸先輩方、同期、後輩・・・学べる人はたくさんいます。
どんな人からも何かを受け取り学べる事がこの答えのない世界で生き残っていく方法の一つなのかもしれません。

あたえられた方法ばかりではなく、自分で納得のいく方法を模索して実践していく事が我々にとって重要だと感じますし、もし、やり方に正解があるのだとしたら、皆、プロになれている気がするのです。
posted by 武藤賀洋 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月12日

色々な人の話を聞こう!

最近、私の周りでは風邪がはやっています!
帰ったら、うがい、手洗い、忘れずに!!
風邪は予防が大事だと言います。もしひいてしまったら、早めに医師に診てもらって、早めに治すことも肝要だと思います!


さて、今回は「色々な人の話を聞こう!」という話題です!

20101112_a.jpgどんな職業でもそうだと思いますが、その職業につこうと思ったら、その職業の人に聞けば、
なれる方法や、やり方、苦労話などなど色々聞けて、アドバイスも頂ける事があります!

しかし、ここで留意しなければならないのが、お話を伺う相手と自分とでは持っているモノも境遇も違うという点です。

つまり、参考にもちろんするべきお話ではあるし、普遍的なモノは変わらないけれども、
そっくりそのまま真似をしたり鵜呑みにしたりしても、実際に自分自身に効果があるかどうかは疑問なわけです。

また、特記しておきますが、すべてのお話を疑えというわけではないのです。

自分自身がしっくりくる方法は自分で判断して見つけなければいけないと考えているわけです。

つまり、異業種の人のお話もしっかり聞き、業界は違うけれども、自分に役立つ、自分自身の為になることは絶対にあるはずなのです。


そして、声優さんや俳優さん、役者になろうという人には是非、色々な方のお話に耳を傾けてほしいのです。
「感性が磨かれるから」
が理由なのですが、異業種だからとか、趣味が違うとか、後輩だからとか・・・
こんな理由で色々な人の話を聞かないのはもったいない。
なぜなら、感性が磨かれたり、役作りのヒントや、今自分がつまっている壁の突破方法のヒントは色々なところに隠れている訳です。

例えば、、、、「聞いた剣道のあの練習方法は芝居の中の距離感をつかむのに使えるな」などなど、どこでアイデアや、ひらめきがくるかわからないのです。

無論、役者の先輩や先生のお話を聞き漏らす事があってはいけません。
しかしながら、それが自分に合うか会わないか、(やらずに判断するのは愚の骨頂ですが)選択し、自分の進むべき道を決めるのは自分自身なわけです。

たくさんの役者の方や志望者の方と接して来て思うのが、
”自分の趣味じゃないから”
という、先入観や頑固な思念をもっている方が無茶苦茶多いと言う事。
そんなくだらない理由で人の話を聞かないなんて、なんてもったいないんでしょう。

例え、そのお話が10あるうち、9が自分の考えとそぐわなくても、1の有効な情報があるかもしれません。
また、その有効な情報を広げて行く事こそ、役者修行の一環と私は考えています。

posted by 武藤賀洋 at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月29日

叱られて当たり前

今回は『叱られる』ということについて書きたいと思います。

私が役者をやっていた頃、演出家の先生によく怒鳴られ、よく灰皿を投げられました。
私ももちろん若い頃でしたから、「むかつくぜ!」と良く思ったものです。
しかし、今にして思えばそういう叱られた事ほど忘れていなくて、よく覚えているものです。

このブログをご覧の方には養成所や専門学校に通われている方も多いと思います。
お稽古中にたくさんダメ出しを受け、たくさん叱られてほしいと思います。

昨今、ニュースなどを見ていると、「叱る」事と「怒る」事を混同しているような事が目につきます。

そりゃあ、叱られている時は、怒鳴られもするでしょうし、イヤな思いもすると思います。
人間ですもの。

しかし、ここで一つ。
叱られているのを「責められている」とか「自分の責任だ」だとか「間違ったんだ」だとか「怒られた」なんて思っているとお芝居もそうですが、色々な事が上達していきませんし、大概、態度に出てしまいますし、次に生かされません。そういう事を繰り返していると、先生の側からは、もう、「叱っても意味がない」と思われてしまう訳です。

無論、何か間違った事だったり、何かが違うことをしてしまったのだから、ダメ出しが出て、場合によっては叱られる訳です。
ポイントはこれは誰のせいでもなく、自分が行った結果、なのです。

20101029_b.jpg話はそれますが、、、「責任」と言う言葉があります。この責任とは「責任をとります!」の様に使われる事がありますが、果たしてこれだけでしょうか?何か拙い事をしたから辞めれば責任なのか・・・そうではないと思うのです。責任の真の意味は、”自分の行動に責任を持つ”という事だと思うのです。
つまり、良い事が起きたら「自分のおかげ」、悪い事が起きたら「人のせい」ではなく、「良い事が起きても悪いことが起きても自分のおかげでじぶんのせい」なわけです。それをしっかり認識して、次の行動に生かす事が真の責任だと思うのです。

話が逸れましたが、このダメ出し、叱られたことをきちんと受け止めるのと受け止めないのとでは成長の度合いが違ってきます。先ほども書きましたが、昨今は『叱る』ことと『怒る』事が混同されがちです。見た目の派手さ(怒鳴られたり、ものを投げつけられたり)だけにとらわれず、叱られている内容をしっかりと受け止めないといけないと思うのです。

言われているうちが花という言葉があります。叱られるのが嫌いだからといって、一見そつなくこなしてみても、それ以上にはなりません。常にチャレンジして、若いうちはどんどん仕掛けて行かないと、伸びないと思うのです。
叱られなくなったら、おしまいであると思います。実はこんなおじさんでも今でも大先輩から叱られる事が多々あるわけです。それを次に生かす事が叱ってくれた先輩、先生に対しての礼節だと思うのです。また別の時に書きますが、プライドが出てしまったら、うまい叱られ方ができなくなるわけです。ですのでたくさん叱られ、ダメ出しを受けて、けっして忘れないようにして行く事が大事だと考えています。

※ちなにに画像は作品お稽古中のお写真です!!いくら僕でもこんな風にはしません〜
posted by 武藤賀洋 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月15日

おもいきり、制限なく

やっと秋らしくなってきました!
しかし、この冬はラニーニャ現象の影響で、もの凄く寒くなるとか・・・雪も多いとか・・・
夏があれだけ暑かったので、、、、暑いよりは寒い方が好きなんですが、、なんともはや・・・

日本には四季という素晴らしいものがありますが、ここ数年、異常気象と言う事が叫ばれています。
四季折々の風や風景、景色を見たり聞いたりしながら、様々なことを感じることも役者さんとして大事なことだと思います。
が、このまま行くと、、、季節が、四季折々の風物がめちゃくちゃになってきてしまいそうな気もします。


さて、今日は、『お芝居をするには自分の全てを注ぐ』ということを書いてみたいと思います。

結論から言いますと、
『お芝居をするには自分が持てるものすべてを出し、すべてをそそいでやらないとお客様の心は動かない』と思うのです。
また、プロとしてお仕事して行く上で、ライバルがこのことをしていたら、まずもって役は持って行かれてしまうでしょう。

ある程度経験を積むと「これくらいでいいかな」と思わないまでも、しらずしらずの内に自分の全てを出さないことが出てきてしまいます。また、初心者の方に多いのが、恥ずかしさ、羞恥心が先にたってしまって、なかなか思い切り出来ないと言うものがあります。

羞恥心を出さないようにしたり、(捨てるというのは違うと考えていて、また別の機会にお話しようと思っています。)自分の持てるすべてを出し切るというのには”テンションを張る”と言う事が関係していると思います。

人は泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったりーーーつまりは感情の変化がある際はーーー無意識にテンションが張れている状態であるわけです。もっと平たく言えば、ある種の興奮状態であり、(良い意味での)緊張状態なわけです。このある種の興奮、緊張を常に張っている事によって、制限なく、お芝居ができるのではないかと考えています。

20101015_b.jpgまた、最初にも書きました通り、『お芝居をするには自分の全てを注ぐ』わけですから、自分の良い面ばかりでなく悪い面、長所ばかりでなく短所もすべてさらけ出さなくてはいけません。しかし、人間ですから、欠点や短所をさらけ出す事は嫌ですよね。それに伴って笑われたり、馬鹿にされる事があるかもしれません。しかし、役者としてはすべてをそそがないと、人の心は動かせない訳です。なぜならば、通常皆さんが心を動かされたりすることはその原因となった人、物事について、たとえその人の欠点だったことであろうと、その人が真剣であればあるほど心に残る訳です。お笑いでもしかり。お芝居でもしかり。その見せ方や目的が違うだけなのです。

ライバル達が思い切り、自分の良いところも悪いところも包み隠さず、自分のすべてを注いでお芝居をしたら、、、例えばオーディションなどでは勝ち目がなくなってきてしまうかもしれません。また、すべてを注がずにお芝居をしていると、目の肥えたお客様やお仕事先のディレクターさんなどにすぐに看破されてしまうでしょう。

また、『自分の生きている時間すべてを芝居に注ぐ』ということもあると思います。役者修行をしている方の多くは学生さんだったり、アルバイトをしておられる方がほとんどだと思います。生活のためにアルバイトをしたり、学生さんですから勉強するのは当たり前です。しかし、役者を目指した以上、他人がーーー役者を目指していないお友達などがーーー遊んでいたり、休日をとったりする時はすべてお芝居に費やすべきなのです。この世界は努力が必ずしも報われるべき世界ではありません。しかしながら、自分の人生の時間のそのほとんどをお芝居に関する時間に充てないと・・・これもライバルが既に充てていたら勝ち目はありません。人間ですから眠かったり、やる気が起きなかったり、遊びたかったりします。しかし、切り替えをきちんとして、お芝居に時間を充てなければ『自分の全てを注ぐ』ということにはほど遠いを思うのです。

『お芝居をするには自分の全てを注ぐ』ーーー常に思い切り、制限なく、また、自分の使える時間を有効にお芝居に注ぐ。そうしていくことで好きなお芝居がより好きになり、恥ずかしい心を出さなくなり、自信がついてくるようになる第一歩だと考えています。



-------------
劇団新和座が4つのチームに別れて真剣勝負!!
劇団新和座『投票祭』12月18日、開幕!!
武藤も出ます!是非、ご期待ください!!
http://www.shinwaza.com/
ラベル:人生 演劇 時間
posted by 武藤賀洋 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月08日

すてごま

毎回書くようですが、、、1週間というのは本当に早いですね〜
さて、私が関わっているお仕事の一つに劇団新和座というものがあるのですが、、、
今、この劇団新和座では争いが起こっております!!

20101008B.jpg誠心誠意、正々堂々と戦うわけですが、今回、私武藤も出ます!しばらく舞台には立っていませんでしたが、出ます!!画像の女優さんと一緒に立たせていただきますが、詳細は是非、公式ブログをご覧頂ければ、と思います!!一生懸命がんばりますので、応援、よろしくお願いします!!


さて、今日は・・・お芝居のお勉強をする上の心構えとして
『見ているだけ、見てからは有利なレッスンにならない』
ということを考えてみました。


お芝居の講座やレッスンなどで、先生方から出された課題を皆の前でやるのはとても勇気のある事だと思います。
そして、私が表現者の立場から申し上げると、最初に手を挙げずに「見」して、様子を窺っている人はもの凄く嫌いだったりします。
また、そういう習慣がついてしまうとなかなか伸びて行かなくなるとも思います。確かに様子を見て、しっかりと他の仲間達のお芝居を見る事も勉強の一つではあります。

また、本題から少し離れてしまいますが、一番最初に手を挙げたり、張り切ってやってくれる生徒さんや俳優さんはとても頼もしく見えますし、チャレンジ精神に溢れているとなると、講師の立場から言うととてもやりやすく、且つ、その行動に呼応したいな、とも思ってしまいます。

さて、本題に戻ります。何故、様子を見ているだけは伸びないのか。
これは、「傷つく事」がないからです。

人間ですから、ましてや俳優さん、声優さんになりたいという人がレッスンを受けている訳ですから、『ほめられたい』『羨望の眼差しでみられたい』『受けが良くなりたい』と誰もが思うと思います。その気持ちは俳優さんや声優さんになる上での動機付けになるのでけして間違っているとは思いません。だからと言って『おこられたくない』『皆に馬鹿にされた目でみられたくない』『間違いをみられたくない』と言うような思いで、まず”様子見”を決め込むことはけして有利ではないと思うのです。

誰しも『間違いを指摘』されるのは嫌なものですが、ここで一つ大きいのが、レッスン上で行う事がすべて間違っているものであり、すべて正解であるわけです。その上で申し上げれば、講座やレッスンの先生に指摘されることやご助言頂く事はすべて糧となり、実となっていくわけです。他人のある種の正解を見た後、それについての講師の先生方のご助言を聞いた後に、---ある種の安心感をもって望むこと---これが習慣化されてしまうと、自分自身で考えたり、いつでも正解を求めることになってしまうと思うのです。

ポイントとしてはその指摘やご助言を受けて、『傷つく事』だと思います。
これは、もの凄く落ち込むとか、もの凄く後悔するとかいうことではありません。
挑戦し、それに対しての"ダメ出し"をもらって、---人間ですからある程度、「失敗したなぁ〜」などと思う事があるでしょう?---傷つかないと、それを次に活かせないのです。人間は思ったより鈍感な生き物で、常にアンテナを張り、自分にとっても良い事も悪い事も感じていないと、いざ!という時に行動がとれなくなってしまいます。

以上のことから
『見ているだけ、見てからは有利なレッスンにならない』
と私は考えています。


posted by 武藤賀洋 at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ムトウの思う精神論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。